サブカルの世界に憧れていた私にとって、そうやって多くの人と出会えることは嬉しいことでもあったけれど、中には危険を感じることもあった。たとえばある時声をかけてきた人は、初対面なのに「AV撮影のために部屋を貸して」と頼んできた。聞くと、「普通の女の子の一人暮らしの部屋で撮影がしたい」のだという。
強引な態度に、嫌な予感しかなかった。なぜなら、当時のAVはスカトロなど当たり前。もし部屋を貸したところでめちゃくちゃにされるだろうし、自分の部屋で知らない男女が絡むなんて絶対に嫌だ。もっと最悪も考えた。それは「部屋を貸して」と言いながら女優は来ず、自分がレイプされ撮影されるかもしれないということ。当時の過激なAVなら余裕でありえる話に思えた。当然、断ったけれどしつこく食い下がられた。その人が何者だったのか今だに不明だが、それ以外にも、セクハラ的な言動をされることは日常茶飯事だった。
香山さんは当時の編集部について、原稿で〈ハラスメント的な扱いを受けたこともなかった〉と書いているが、それは香山さんが売れっ子の書き手の立場だったからではないだろうか。もしくは、初期のサブカル界隈の空気はそんな感じだったのかもしれないとも思う。当時のサブカルについて、香山さんは〈「本音では女性差別、障害者差別、外国人差別、貧困者差別などの意識があるのに、うわべだけ“差別はやめましょう”、“人間みな平等”などと言う教育者や政治家など“おとなたち”の“化けの皮”をはがして嘲笑したい」というところか〉と書いているが、確かに初期はそんな前提が送り手にも受け手にも広く共有されていたように思う。
が、鬼畜系がブームとなる頃には、「“バカなAV女優” “バカな援交女子高生”には人権がないので何をやってもいい」というめちゃくちゃな「掟」みたいなものが成立しており、また、ロフトプラスワンには「サブカル女には何をしてもいい」と思っているような男性が一部、存在していた。
さて、そんなふうに散々雑な扱いを受けてきた私だが、2000年に一冊目の本を出した途端、世界はがらりと反転した。サブカル界隈でこれまで私に失礼なことをしてきた人が、急に態度を変えたのだ。
「AV撮影に部屋を貸してくれ」なんて言う人は現れなくなったし、セクハラ的言動はびっくりするほど減った。中でも驚いたのは、「写真が返却されるようになったこと」だ。
当時、私は何かになりたくて、人形作家を目指したりバンドを組んだりと、がむしゃらにいろんなことに手を付けていた。そんな私に対して「雑誌とかに売り込んであげるから写真貸して、絶対返すから」と言う人がたまにいて、何人かに写真を託した。子ども時代から今に至るまでの写真を要求されたので、そうした。パソコンなどないので、紙焼きの一点モノの写真ばかりだ。しかし、渡した写真は一枚も返ってこなかった。編集部が紛失してしまったのだという(その人が紛失した可能性もある)。ゆえに私は、小さい頃から20代前半までの写真をごっそり失っている。それがどうしたことだろう。デビューした途端、編集部の人に写真を貸し出しても、無事に返却されるようになったのだ。ああ、私は本当にバカにされていたんだな。泣きたくなった。
あれから、20年以上。
気がつけば鬼畜ブームは遠い過去になり、そうして2000年代、この国にはヘイトデモが登場した。
このデモを初めて見た時、香山さんは大きな衝撃を受けたという。〈ポストモダン文化やサブカルの延長線上にあるものに見えたから〉(前掲「常識を疑え!」) だ。それはどういうものか。著書『ヘイト・悪趣味・サブカルチャー――根本敬論』(太田出版、2019年)で香山さんは以下のように書いている。
〈重さや暗さや熱さ、真剣さなどが極端に忌避〉され、〈過激なエログラビアも、天皇も、フランスの現代思想も〉すべて同じステージに上げられ、自分たちはそれを〈見下ろすボックス席 〉のような場所で批評する、という態度。かつて「文脈」や「行間を読む」という高度さとセットで、どこか文化資本が高い人たちのオモチャだったその手のものは、1990年代鬼畜ブームを経て一般化する過程で劣化し(私はここで消費した層)、「ひどいことやったモン勝ち、鬼畜であればあるほど偉い」というノリだけを残して21世紀の路上で醜悪に花開いた。
ヘイトデモを見た時から、香山さんは〈「大きな声でヘイトスピーチを糾弾し、人権の大切さを主張する人」になった〉(前掲「常識を疑え!」) という。ある意味、当時一番忌避していた振る舞いに切り替えたのだ。それを読んで、香山さんの変化に、改めて深く納得した。ヘイトデモの下地を作ることに、巡り巡って加担したかもしれないという意識からの行動だったのだ、と。
そんな香山さんを私は尊敬する。しかし、香山さんは反ヘイトの行動を起こしたことがきっかけで多くの仕事を失ったという。大学内での立場も悪くなったそうだ。差別に反対し、人権の大切さを主張する。そんな行動は、本来であれば評価されるべきものだろう。しかし、現実はそうではないのだ。
このことも含めて、90年代サブカルはやはり、ちゃんと総括されなければならないと思うのだ。
もう一つ、書いておきたいのは「なんでもかんでも茶化して相対化する」という態度の弊害についてだ。例えば数年前に「NHKから国民を守る党」が出てきた時、私の周りのサブカル好きたち(40代)は面白がり、投票した人も多かった。
「選挙は変な人を楽しむもの」というのも90年代サブカルしぐさの一つではないだろうか。だけど、そんなふうにいろんなものをおちょくって相対化するうちに、私たちは取り返しのつかない場所にいる気もするのだ。そして少し怖いのは、90年代サブカルの影響を深く受けた今の40代の一部は、「茶化す」以外の社会参加の方法を知らない可能性があるということだ。