東京五輪開会式直前、楽曲を担当していた小山田圭吾氏のいじめ問題が大きな注目を集めていた頃、2018年に書いた私の原稿が多くの人に読まれた。
それは「90年代サブカルと『#MeToo』の間の深い溝」(マガジン9「雨宮処凛がゆく!」)という原稿。1990年代の鬼畜系カルチャーにどっぷり浸かっていた経験と、それから20数年後、#MeToo運動に共感している自分の中の溝について書いたものである。詳しくはぜひ本文を読んでほしい。
なぜ、読まれたのかといえば、小山田氏の「いじめを自慢げに語る」という振る舞いが「90年代」の鬼畜系サブカルしぐさだった、といった擁護論や指摘があったからで、その流れで読まれたようだ。
さて、突然こんなことを書いたのは、2021年8月にリリースされた香山リカさんの「かつてのサブカル・キッズたちへ〜時代は変わった。誤りを認め、謝罪し、おずおずとでも“正論”を語ろう」(イミダス「常識を疑え!」)を読んだからである。
精神科医である香山さんは、1980年代からサブカルの「発信側」として活躍してきた人である(その後、活躍の場はサブカルにとどまらなくなるが)。対して私は、90年代サブカル、特に鬼畜系を一読者として熱心に消費していた過去を持つ。
ここで鬼畜ブームを知らない人のために書いておくと、90年代の一時期、死体やドラッグ、ゴミ漁り、洗脳や変態といったものを扱ったサブカル系雑誌が大いに売れた時期があった。そんな文化圏は「鬼畜系」などと言われ、一部若者に絶大な人気を誇っていた。
なぜ、私がそんなものにハマっていたかと言えば、貧乏フリーターで対人恐怖で自殺願望の塊だった当時、表側の綺麗な世界には自分の居場所はないと思っていたからである。そんな私にとって、コンビニや書店で簡単に手に入る「鬼畜系」の世界は大きな慰めになっていた。
2000年、私は25歳で一冊目の本を出しデビューするのだが、当時読んでいたサブカル系雑誌(コンビニで買える、サブカル系としては安価な雑誌)からインタビューを受けて驚いたことがある。それはその雑誌について編集者が説明した言葉。「低所得で人生がうまくいっていない低学歴の若者が読む雑誌」と言ったのだ。私はまさに、その層だった。
さて、まず書いておきたいのは、私は香山さんを大変尊敬しているということだ。そうして今回の香山さんの原稿で、なぜ彼女が反ヘイトの行動をするようになったのか、改めて深く理解した。
その上で、これから書くのは1990年代の私の目から見えていた有名人の「香山リカ」である。
当時の香山さんはさまざまなメディアに引っ張りだこの精神科医であると同時に著名な書き手であり、サブカル女子の憧れ的存在だった。サブカル的な本や雑誌を開けば、香山さんがその時「旬」と言われるような人と対談していた。
私自身も香山さんのファンで、当時「サブカルの聖地」と呼ばれたロフトプラスワンに香山さんが出ると聞けば見に行ったりしていた。香山さん以外にも、多くの「サブカル文化人」のファンで、そんな人たちが示す「世界との関わり方」――何もかも相対化してバカにしてナメて生きていく方法――みたいなものに救われていた。
そんなふうに私を救ってくれたサブカルの世界だったけれど、当時、唯一相容れなかったところがある。それは「エロ」に関する姿勢だ。
当時は過激なAVが人気を博し、スカトロをはじめ「なんでもアリ」の状態だった。人権無視を売りにするような作品が評判となり、カウンターカルチャーのような扱いを受けていた。当時のサブカル雑誌を開けば、そんなAVの撮影現場のルポやレビューが溢れるほどに載っていて、自分と同世代だろう女性たちが、目を覆うほど酷い目に遭っていた。例えば、女優が路上生活者の男性とのセックスを強要されたり、複数の男性から事前に聞かされていない暴行を受けたり、等々。
そんな過激なAV作品をサブカル文化人たちは「社会派AV」などと絶賛していた。驚いたのは、サブカルの枠に留まらない有名文化人たちも絶賛していたことだ。
香山さんは前掲の原稿で〈私たちは大きな前提を忘れていた。それをあえてひとことで言うなら、「人権意識」となるだろうか〉と書いている。
当時、サブカルの世界にしか居場所がなかった私は、引き裂かれるような思いで自分に言い聞かせていた。
今はこういうのが流行りなんだ。人権無視のAVに眉をひそめる「PTAのおばさん」みたいなのが一番ダサいんだ。ここまでやっちゃうのが「社会派」でリアルでカッコいいんだ、と。
だけど当時20代前半だった私は、そんなAVでひどい目に遭う女性たちが自分と違うなんてまったく思えなかった。一歩間違えば、自分だってそうなっていたかもしれない、という思いだった。友人のほとんどは風俗で働いていて、勤務中にもプライベートでも性暴力に晒されていた。そんな友人たちと繁華街を歩けば、知らない男が声をかけてきて、「AVに出ないか」なんて言われたりもした。当時の自分自身はキャバクラ嬢で、客に薬を盛られた女の子が数人がかりでホテルに連れ込まれたなんて話もゴロゴロあった。性被害は、すぐ隣にある話だった。
だけど、引き裂かれながらも私はサブカル女であり続けた。他に居場所もなかったから、サブカルの聖地であり、「ライターの職安」なんて揶揄されるロフトプラスワンにもせっせと通った。当時のロフトプラスワンはまだできたばかりで、そこにはよくわからない自称クリエイターや自称ライターや自称出版関係者や「サブカル文化人」や「サブカル文化人崩れ」が山ほどいて、そんな怪しげな人たちと多く知り合った。