第2章に登場するのは大分県の町のバレーボールクラブ。ここでは小学校の教頭でもある監督が子どもに暴力を振るっていた。平手打ち、子どもの頭や頬を床に押し付ける等。暴力はコーチによって大分県小学生バレーボール連盟に通報されたのだが、誰が通報したかわからない親たちは、「犯人探し」を始める。保護者会には30人ほどのOGとその親が呼ばれ、「口止め誓約書」への署名、捺印が求められる。結局、監督の暴力はマスコミに報道され、永久追放。
これには読んでいてほっと胸を撫で下ろしたが、本書には、子どもを自死に追い込んだ教師が「守られる」ような姿も描写されている。保護者らが「処分軽減」や「寛大な処分」を求めて嘆願書を作り、署名を集めるなどするのだ。一歩間違えたら、自分の子どもが自死に追い込まれていたかもしれないのだが、どういう心理なのだろう。
さらに驚かされるのが、部員への性的暴行で訴えられた私立高校バスケ部の外部コーチ(当時58歳)に対して、無罪を訴える嘆願書の署名集めが親たちから始まったケースだ。
遠征先のホテルで部員たちを交代で一人ずつ部屋に呼んだコーチは、強制わいせつ、性的暴行などの容疑で3回逮捕され、女子生徒11人の親によって告訴されたという。
〈「昼間は殴って、夜は一人ひとり(部員を)自分の部屋に呼んでやさしい言葉をかければ、部員はついてくるようになる」〉
このコーチが語ったという言葉だ。地獄としか言いようがないが、さらに地獄と言いたくなるのが、被害に遭った生徒を、卒業生とその親が責めたということだ。自分たちが功績を残したバスケット部の名誉を傷つけられたこと、恩義を感じているコーチを告訴したことへの怒りからだというが、あまりにもつらい。
が、残念ながら、スポーツの世界での性暴力やセクハラは多くの報道で見聞きするものでもある。
11年には私立大学の男性コーチが女子柔道部の選手に対する準強姦容疑で逮捕。コーチは元五輪メダリストだったため注目された。それ以外にもいくつかの事件を思い出せるが、著者はそのことについてストックホルム症候群を引き合いに出して説明する。人質が銀行強盗に協力的な行動をとるというアレだ。加害者が怒りを爆発させている時、被害者はパニックになるが、「許してもらえる」瞬間はパニックから解放される。
性暴力を振るう男性の中には、このようなやり方が常套手段になっている人が多くいる。私自身、キャバクラで働いていた時期このような客をよく見たし、世間でいう「パワハラ上司」の一定数がこの手の加害者だ。彼らがやっかいなのは、成功体験を積み重ね、確信犯的にそのやり方を続けているということだ。と、今の私ならそのように分析できて「怒鳴ったり激怒して相手をビビらせ萎縮させ、急に優しくしたらコントロールできて好き放題できると思ってるカス野郎」と冷静に観察できる。が、子どもにはそんなことはわからない。
中学生時代の私は、大人でも震え上がるほどの絶叫で暴言を浴びせる顧問教師が怖くて怖くて仕方なかった。もしあの時、急に優しくされていたら。普段、全人格を否定されていた分、「認められた」「許された」気がして、嬉し涙さえ流してすがりついていたかもしれない。そしてそれが「恋愛」だなどと大いなる勘違いをしていたかもしれない。
そんなことを思うと、学校とは、部活とは、そして圧倒的な力を持つ男性がそのコミュニティから崇拝されている集団とは、実に危険なものである。
読み進めながら、なぜ自分が部活内でいじめに遭ったかもよくわかった。下手だからいじめられたという自覚は当時からあったのだが、明らかに「いじめてOK」というメッセージが大人たちから出ていたのだ。
例えば最初に紹介したバレーのクラブ内では、「できない子」が「できる子」に土下座させられていたという。もちろん監督の指示。大人主導で「いじめの土下座」が蔓延していたのだ。
また、同チームでは、監督が一人の子どもを責めると、全員の親がその子を否定し、責める空気になっていたという。親まで巻き込むなんて、子どもにとっては逃げ場がない。
さて、それではなぜ親たちは疑問を持たずに巻き込まれていたのか。そこにあるのは「勝利」「全国大会」などの魔力だと著者は書く。
自分の子どもが大会で活躍できるという自慢。誇り。特に自己肯定感の低い親ほど子どもがスポーツで秀でると過度に期待し、「自分が行けなかった全国大会へ」と身代わりヒーローを求める傾向があるという。
ふたつめはさきほど紹介したストックホルム症候群にみられるようなトラウマ性結びつき。
さらにもうひとつ、「生存者バイアス」も説明されている。親たちも厳しい部活やそこでの体罰に耐えてきた。そのことを「あの時頑張れたから今の自分がある」と正当化してしまう。が、中には私のように、トラウマから今もスポーツ全般が大の苦手だという人もいる。人間不信が植えつけられた人もいれば、それによってひきこもりになった人もいる。また、実際に指導死やいじめで多くの自殺者が出てもいる。
しかし、死ななかった側は「あの指導こそがあったから」と思ってしまう。そして子どもにも厳しい環境を強いてしまうのだ。
本書には、指導者のヤバい言葉が登場する。
〈「大丈夫ですよ。4年生になるまで殴りませんから」〉
〈「最後のとどめは刺さないから大丈夫だよ」〉
後者などまるで殺し屋のセリフではないか。それが子どもを指導する人たちが口にする。
13年、スポーツと教育現場における暴力行為根絶宣言が出された。しかし、それから9年経っても、暴力は根絶されたとは言い難い。