現在47歳の私には子どもがいない。
「欲しいと思ったことはないの?」と聞かれたら、よくわからない。
小さな頃は、漠然と「大人になったら結婚して子どもを産んで母親になるんだろうな」と思っていた。それが「誰にでも可能なことではない」と気づいたのはバブル崩壊直後の20歳頃だったと思う。
世の中は就職氷河期と言われるようになり、結婚や出産の前に、そもそも「安定して働き、稼ぐ」ことが難しい世の中になっていた。周りを見渡せば男女ともにフリーターばかりで、気づけば私もフリーター。ニュースでは、同世代やちょっと年上のカップルが、子どもを虐待して逮捕される事件が時々報じられていた。そんな時に映し出されるアパートの外観はどれも当時私が住んでいたワンルーム物件に似通っていて、そんなものを見るたびに、「もし、今間違って妊娠なんてしてしまったら殺人犯になって逮捕されて人生アウトなんだろうな」と思っていた。
40代となった今、改めて振り返ると、当時の私が妊娠・出産した場合、「虐待が起きる条件」は揃っていたように思う。
経済的な困窮。妊娠が発覚した途端、逃げるに決まってる相手。逃げなくてもお金がないので経済的にはまったく頼れない相手。怒り狂って私を「恥」とみなす親や親戚。世間から浴びせられる冷たい目。
もちろん、だからといって虐待が「仕方ない」わけではまったくないし、同じ条件でも必死で子育てを成し遂げた人もいるだろう。だけど、フリーター時代に染み付いた「妊娠=逮捕=人生終わり」という図式はその後も強烈に私に刷り込まれたままだった。
そうして20代もなかばになる頃には、「出産」はより遠いものになっていた。まず、地方出身者が親に頼らず子育てをすることは「無理ゲー」にしか思えなかったし、25歳でフリーランスの物書きとなってからはそんな選択肢は消えた。一瞬でも仕事を休んでしまったら戻る場所はないという崖っぷち感で働き続け、今年で22年。気がつけば、タイムリミットは過ぎていた。フリーランスに限らず、「失われた30年」が始まった頃と出産可能年齢の始まりが重なった世代にはそんな女性が多いのではないだろうか。
さて、それでは「経済的不安がなく、親の協力などが得られる状況」だったら産んだかと言えば、素直に頷く気持ちになれない。それは私自身の子ども時代があまりにも辛すぎたからだ。
その最たるものはいじめで、もし、「自分の子ども」がそんな目に遭ったらどうすればいいのだろうと思うだけで動悸・息切れ・めまいに襲われる。
私自身、中学時代のいじめで学校にまったく守ってもらえなかったという恨みがあるのだが、では今の状況が変わっているかといえば、答えはノー。いじめ自殺などの報道を見るたびに「変わっていない」ことを突きつけられる。それどころか、自己保身のための隠蔽など、当時よりひどくなっているのではと思う部分もある。
もうひとつ、私を出産から遠ざけていたのは、子どもがいると「選べないコミュニティ」と関わらざるを得ないという理由だ。例えば、学校や地域社会。そしてママ友。
そんなところに放り込まれた時、私には「絶対に自分はまたいじめられる」という確信に近いものがある。特にママ友。同調圧力が強く、競争原理も働き、その上逃げられないコミュニティで餌食になりやすい人というのは確実にいて、同じ条件が揃った学校でいじめを受けた私は、とにかくそういうものからはできるだけ遠ざかっていたいのだ。
と、子どももいないのに「未知のママ友からのいじめ」に一人怯えているのだが、最近、衝撃の一冊と出会った。「自分が子どもを持ちたくない理由」が、的確に書かれている本。そうそう、学校って、子どもを取り囲む世界ってこういうふうだから出産とか考えられなかったんだ、という一冊。
その本とは、島沢優子著『スポーツ毒親 暴力・性虐待になぜわが子を差し出すのか』(2022年、文藝春秋)。
本の帯にはこんな言葉が踊る。
〈「あの監督なら、全国大会に行ける」
部活やジュニアスポーツの現場で絶えることがない、指導者による暴力・性虐待事件。そこには子どもを護るどころか率先して追い込み、事実を隠蔽しようとする“毒親”たちが存在した――。〉
私自身、中学のバレーボール部での部活でのいじめがもっともつらかったのだが、部活には親は一切関わっていない。よって「スポーツ毒親」に苦しんだわけではない。しかし、この本で書かれているような顧問教師の暴言暴力、「活を入れるのは当たり前」「試合に負けたら全員ビンタ」という無法地帯で中学時代を生き抜いた。今考えても、どれもすべて犯罪である。
本書には、そんな中、「勝利」や「全国大会」に固執するあまり、子どものスポーツに熱狂し、指導者の体罰を容認して子どもを危険に晒す親たちが登場する。章タイトルをざっと紹介しただけでそのヤバさが伝わるはずだ。
〈子どもに土下座させる監督に服従し続けた親たち〉〈性虐待に鈍感な親たち〉〈少年野球当番問題~来られない親に嫌がらせをする母親たち〉などなど。
舞台は学校の部活や地元のスポーツクラブだ。
第1章で紹介されるのは、「ぶっ殺すぞ」「産み直してもらえ」などの暴言を吐き、子どもを骨折させ、投げ飛ばすなど容赦ない暴力を振るうバレーボールクラブの監督だ。怪我をすれば怒られ、発熱しても練習を休めない。コロナ禍で各都道府県の小学生バレーボール連盟から練習禁止の通達が出ても監督は「闇練習」を強行。そのために親たちは時に往復4時間かけての送迎にも駆り出される。挙げ句の果てには子どもたちに土下座を強要。チームの中には「適応障害」と診断された子もいれば、一時は4人の子どもが不登校になるなど心に深い傷を負っている。