本書の前半では、だめ連結成から30年、2人がどうやって「しのいできたのか」が語られるのだが、2人とも基本、バイト暮らし。だいたい月に7万円ほど稼いできたという。
「7万円で生きられるの?」と思う人も多いだろう。が、本書には、お金をかけずに楽しく生きる彼らの実践があますところなく紹介されている。
例えば家賃が安いところに住むなんてのは基本中の基本。ぺぺさんに至っては長年にわたりアパートを借りず、〈日々居候先が変わる〉生活を続けてきた 。
だいたい東京に限らず、都会の家賃は高すぎる。だからこそそれを払うためにたくさん働かざるを得ないわけだが、労働時間が長くて疲れると料理も億劫になり外食やコンビニ頼りの生活となるわけだ。そこを根底から見直すことで世界はがらりと変わる。
例えば神長さん、この数年は週2日労働 。仕事は障害者の介助と学童保育。「デパートで服を売る」のと違い、環境破壊とも資本主義的搾取とも遠い職種だ。そんな彼には同じような生き方をするパートナーがいるのだが、同居しているので家賃は折半。収入が少ないと心配なのは食費だが、アパートの庭でプチトマトやキュウリ、春菊、セロリ、パクチー、バジル、明日葉や山椒、小松菜などを栽培しているという。庭で作る野菜は無農薬とのことで、〈やっぱり採れたての野菜っておいしいね〉 とさらりと口にする神長さん。思わず「セレブかよ?」と突っ込みたくなる暮らしぶりではないか。
それだけでなく、梅干しや梅酒も作り、野草茶も手作りしているそうだ。
また、山や海や川でタダで遊ぶノウハウもたくさん紹介されている。
まず、山はおにぎりを持っていけば電車賃だけで済む。それだけではない。山菜やキノコだって手に入るし、その場でキノコを天ぷらにして食べればご馳走だ。海に行けば魚を釣ってフライにする。なんとも贅沢な時間ではないか。そうして夜になれば、天体観測。
〈星空を見るのも当然タダだから、おすすめです。夜になって星と月が出ると宇宙が見えるという、それをゆっくりとみんなで楽しむっていうのは最高のぜいたくですよ〉 と、なんだか平安時代の貴族みたいなことを言う神長さん。
空の楽しみ方はそれだけではない。彼らは日頃から金環日食や皆既月食飲み会なんかをしているというではないか。近所の公園で開催するそうだが、ぺぺさんは〈雲はあったほうがいいね〉 などと風流なことを口にする。
そんな彼らが働くことに疑念を抱くのは、それが環境破壊や人間らしさの喪失につながるからだ。
本書では、老人施設で働く彼らの友人のエピソードが紹介されている。お年寄りに食事の介助をする際、全員に時間内に食べさせなければならないわけだが、一人ひとりペースは違う。それなのに、どんどんスプーンで口にご飯を運ばないといけない。上司にそのことがつらいと話すと、友人は〈感情は捨ててください〉 と言われたという。
技術や知識とともに優しさや思いやりが大切とされる場で、同時にそれを「捨てる」ことを強要される仕事。
「仕事なんてどれもそんなもんだ」と思う人もいるだろう。が、そういうひとつひとつにつまずいたり、立ち止まったりしないと、私たちは「仕事のため」に際限なく感情を捨てることができてしまう生き物でもある。仕事でなくたっていい。なんらかの大義のためであれば、人の命を奪うことすら厭わない行動ができてしまうことは嫌というほど歴史が証明しているではないか。
そんな彼らの周りには、包丁研ぎをする代わりに何かをもらうという物々交換をしている人がいたり、釣った魚をお店や個人に売ってる釣り名人などがいるという。
っていうか、人類の長い歴史を振り返れば人間はずーっとそんなふうに生きてきたわけで、資本主義なんてここ最近のほんのわずかな期間のことだ。そして今、その限界が見えてきているからこそ多くの人が「違う道」を模索しているわけだが、だめ連は30年以上前からとっくに資本主義に見切りをつけ、自分たちのライフスタイルを確立していたのである。
そんな彼らのメイン活動が、やはり有史以来、人々が脈々と続けてきた「交流」であることは興味深い。
〈本や映画も面白いけど、目の前にいる現実の人間はもっと面白い〉 と、出会った人の人生に食い込む「人生トーク」を繰り広げる。面白い相手だから面白いのではない。「一見だれにも注目されないような人」でも話しかけ、食い込んでいくと「味」があったりする。その味わいを「コク」と呼び、「コクのあるトーク」を愛でるのだ。
そんな交流をするにもコツがある。強がらなくていい、カッコつけなくていいことを知らしめるため、積極的に「だめ」を見せていく。
「いやあ、最近ぜんぜん働いてないんですよ」「何やってもうまくいかなくてねえ」などと、最初に「ヘボいところ」を思い切り開陳するのだ。そうすると相手も精神的に武装解除される。そうして仕事や性、恋愛だけでなく悩み悲しみにも食い込み、「それは世の中のこういうところが悪いのでは」と社会化して考えることで「なるべく社会のせいにして」いき、「社会変革への扉」を開く。そう、彼らはただ遊んでいるだけでなく、常に社会のこと、政治のことを考えてもいるのだ。
それも最低限しか働いていないがゆえにできることだろう。だいたい毎日フルタイムで働いた上で社会や政治のことを考えろと言ったところで、「社会や政治のことを考える仕事」でもない限り到底無理な話だ。疲れ果てて帰ってきて、面白くもない国会論議なんて見たくないというのが人情だろう。
しかし、彼らは賃労働に最低限の時間しか使っていないので、社会や世界情勢について考える時間が膨大にある。いろんな勉強会やデモ、イベントや集会にも参加し、学ぶことに忙しい。「普通の社会人」は自分の業界以外のことに疎くなるが、そうでない彼らは常に全方向に開かれている。
と、なんだか褒めてばかりだが、私が彼らを「ホンモノ」だと思うのには理由がある。