本書ではこれについても多くのページが割かれているのだが、「全裸でグルグル巻にして〜」という見出しの記事が掲載されたのは1994年1月号の音楽雑誌『ロッキング・オン・ジャパン(ROCKIN’ON JAPAN)』(ロッキング・オン社)。小山田氏は当時24歳。多くの人が今回の騒動で知った通り、同誌のインタビューは「原稿チェックなし」。
あまりにもリスキーだが、同誌ではそのようなスタンスゆえ、「事実と違う」「ニュアンスが違う」など掲載後に取材対象者からクレームが入ったり、「事実と異なる不本意なことを書かれた」とアーティストが会社に殴り込んできたこともあったという。
そんな『ロッキング・オン・ジャパン』で「アーティストを丸裸にする」という2万字インタビューが原稿チェックなしで掲載され、それが27年後に大炎上となるわけだが、小山田氏にはこの記事のいじめ記述について、当時から強い違和感があったそうだ。
〈事実と違うことを見出しにされ、まるで全部自分がやったことのように書かれていて、当時、すごく違和感を覚えました。ショックを受けました〉
この原稿の前半で、私は「一次情報にあたる重要性」について書いた。が、そこにあたったところで、この件ではその「一次情報」がかなりの誇張に塗れていたというのが真相のようである(肝心の『ロッキング・オン・ジャパン』編集部はこの本の取材には応じず)。
しかし、小山田氏サイドは訂正などを要求していない。なぜ? と思うかもしれないが、「言ってもいないことを書かれる」ことやある程度の脚色は当時、日常的にあったという。
この感覚、90年代にメディア界隈にいた人ならわかるかもしれない。
さて、ここからは私のことになるが、私は2000年に25歳で1冊目の本を出してデビューしたのだが(よってその1、2年前からメディアには少しずつ出ていた)、90年代から2000年代にかけて、「若くしてメディアに出る」ことは恐ろしいことだったと今さらながら痛感している。
私など売れに売れていたアーティストの小山田氏とは比べものにもならないが、それでもサブカル全盛期の中、とにかく「露悪的」な語りが良しとされ、きわどいことやとんがったことが「若手」に過剰に要求されたことを記憶している。当時はポリティカルコレクトネス的なものがもっとも忌み嫌われ、最大の侮蔑語が「PTAのおばさんかよ」だった時代。そんな中、不本意な発言が文脈を無視して切り取られたり、恐ろしく誇張した見出しに傷ついたことは一度や二度ではない。
また、インタビューを受けても原稿チェックがないのが通常運転。「言ってもいないこと」を書かれるのも当たり前で、男性誌であればなぜか「セ・ン・セ、おいたはダメよ」みたいな口調になっていたりして頭を抱えたことは数え切れない。
それだけではない。一度など、勝手に自宅の電話番号まで掲載されたこともあるのだからたまらない。「いつでも電話してね」ってな感じのキャプションとともにだったが、いや、どう考えてもおかしいだろそれ。
だけど私も、それに対して抗議したりなどしなかった。
なぜなら、「どうせ雑誌など消費物。1カ月以内に本屋の棚から消える」と思っていたからだ。だからこそ、わざわざ訂正など求めなかった。それで編集部と関係が悪くなるくらいなら、という思いもあった。「ライター/作家の○○さんはたいして売れてもいないくせにうるさい」というような噂をよく耳にしていたし、90年代や2000年代は自分を粗末に扱うのがカッコよくて、自分のイメージをやたら大切にするやつはダサいみたいな空気が今よりも100倍くらい濃厚だった気がする。
そうして一番大きいのは、小山田氏の記事が掲載された’90年代、こんなネット社会が到来するなんて、誰も予想していなかったということだ。1カ月で消えるものだった記事がその後も残り続けて、それが未来の自分を危機に陥れるなんて、誰一人、想像していなかったのである。
小山田氏の炎上から3年経った今、改めて思うのは、人々が「一方向に向かうこと」の怖さだ。
「こいつは叩いていい奴だ」となった時、人間はこれほど残酷になるものなのか――。SNSでそんな光景を何度目撃してきただろう。
そしてこれを書いている今、ターゲットとなっているのは「フワちゃん」と「体臭発言」のアナウンサーだ(この連載が更新される頃には次のターゲットが吊るし上げにあっていてすっかり忘れられているかもしれないが)。
フワちゃんは芸能活動休止、アナウンサーは所属事務所の契約解除となったが、「こいつが悪」となった瞬間、一斉に一方向に暴走しだす人々の姿から頭に浮かぶのは、「戦争」という言葉だ。
そのことを裏付けるように、『小山田圭吾 炎上の「嘘」』には「戦争」という言葉が登場する。
それを口にしたのは、小山田氏が所属した五輪開会式のクリエイティブチームの一人。オリンピックの開会式を見ながら呟いたのだ。
〈本当の戦争って、こんな感じなのかも知れませんね。ひとり、またひとりと関わった人がいなくなってしまう。最後、残された人だけで空を見上げるんですね〉
この本を読んだ直後、ある映画を観た。
26年前に起きた和歌山カレー事件についての映画『マミー』(二村真弘監督、東風配給、2024年)だ。
1998年、夏祭りで振る舞われたカレーに猛毒のヒ素が混入、67人がヒ素中毒となり、4人が死亡。近隣に住む林眞須美が逮捕され、2009年、彼女には死刑が確定したのだが、この数年、彼女に対して「冤罪では」という声が高まっていることをご存知の人は多いだろう。