「ダメ出し」はそれだけではない。「昨日こんな映画を観て」と言えばその映画を否定され、「この前洗濯してて」と話していたら使っている洗剤などを聞き出されて否定される。どうでもいいけど、いちいち疲れる。また、毒子の家で食事などしようものなら片付けや皿洗いの様子を至近距離で監視され(おそらくそのテストとしての自宅での食事)、やはりダメ出しされるのだった。姑かよ……と思いつつ、いつも不満を飲み込んでいた。
毒子に会うと、それまでどんなに楽しい気持ちでいても、全部台無しになった。帰り道は足取り重く、「自分はなんてダメなんだ」とどんよりした気分になった。それまで仕事や対人関係を通してコツコツと積み上げてきた自信が、少しずつ、だけど確実に削られていくのを感じていた。
そうして、気づいた。世間的には憧れられるような肩書きや美貌を手にしているA子が、どこかものすごく自信なさげな理由に。あんなにダメ出しされてりゃ、そりゃあ最低限の自信もなくなるよな……。そう思った。
そんなふうに自分の娘と私を支配下において、毒子はどんどん増長していった。
ある時など、突然「あんたは意識低いから、絶対子ども産んだらダメよ」と面と向かって言ってきた。なんの脈絡もなく、顔を合わせるなりいきなりだ。あまりにも不意打ちの暴言に、精神的な通り魔に遭った気分だった。しかもアラフィフの今と違って当時の私は30代。いろいろと悩みや葛藤も多い時期の女性に絶対に言ってはいけない言葉の、ぶっちぎりナンバーワンではないだろうか。
「そんなババア、切ればいいじゃん」と思うだろう。が、ここまでで規格外の行動・言動ばかり見せられているため、下手な関係の切り方をするとトンデモないことをしそうで怖くて行動を起こせないのだ。「何やらかすかわからない恐怖」が植え付けられていたのである。
実際、「逃げたらこうなるぞ」という見せしめのようなことはよくしていた。
それは毒子に懲りて逃げただろう人たちの悪口を吹聴すること。悪口だけならまだいい。付き合いの中で知り得た個人情報もたっぷり暴露しながら話すのである。「逃げたら自分もこれやられるんだろうな」と思うと、二の足を踏むほどには嫌なことだった。一定期間の付き合いがあれば、個人的なことは多く知られてしまう。毒子は、おそらくその人が「もっとも他人に知られたくないこと」を率先して暴露していた。身体のことや病気、経済状況などだ。すべての会う機会が「弱みを握る」ためだったのか、と思いたくなるほどに。
そんな中にいて、私はどんどんおかしくなっていった。
常に毒子への怒りを抱えながらも、次の瞬間にはハッとして「毒子さんを怒らせちゃいけない、機嫌よくいてもらわなくては」と祈るように思う。その上、気がつけば「毒子さんを幸せにしなくては」という義務感、責任感にまで取り憑かれていた。そうでなければ自分への支配が終わらないからだ。
1人で家にいても「支配」は続いていた。例えば皿洗いをしていて皿を割ったりすると、反射的に「怒られる!」と身がすくむ。常に「毒子に叱られる」ことに怯えるようになっていた。
しかし、離れようと思うたびに「毒子さんを見捨てるなんて自分はひどい人間なのでは」という思いに囚われる。いつからか、持つ必要などない罪悪感まで植え付けられていたのだ。
そのうち、私はA子を恨むようになった。
しょっちゅうトンデモない要求――こっちが締め切りでクソ忙しいのに「買い物に付き合え」とか「会わせたい人(毒子の知り合いの知らないジジイ)がいるから来い」とか――をしてくるような毒子を私に紹介したという事実をもって、A子がひどいと思ったのだ。
実際、ターゲットが私に移ったことによって、A子は毒子の干渉から以前よりは解放されているようだった。
もしかして、この人、ずーっとこうやって友だちに自分の代理をさせて生きてきたのでは?
だとしたら私、思い切り生贄じゃん。
今思っても、この頃の私は少しおかしかったと思う。
日々かかってくる電話やメールに怯えるだけでなく、常に「いきなりどんなにひどいことを言われても傷つかないよう」、精神的に武装するようになっていた。あまりにも傷つけられすぎると、人に冷たく当たりそうになったり、自分がやられたのと同じ仕打ちをしそうになるということも初めて知った。理不尽な目に遭い続けていると、人間はどんどん歪んでいくものなのだと身をもって知った経験だった。
それでは、どうやって解放されたのか。
もう、この頃の記憶は曖昧なのだが――自己防衛反応として積極的に記憶を抹消しようとしたのだと思う――結局、耐えられなくなって毒子の誘いを極力断り、電話やメールもスルーしていたら別のターゲットが現れたらしく、親子からフェードアウトできた、というのがごくごく簡単にまとめた顛末である。
この経験を通して、私は学んだ。
世の中には、関わってはいけない人間がいるのだと。
同時に、あれほど人を支配し、操り、思うように動かそうとしたのは、毒子自身にものすごい傷つきがあったからではないかとも思う。どこか根本的に自信がないからこそ、先回りして人を攻撃し、その反応で支配できる相手かどうか見極め、できそうと思った途端、距離をつめて相手の「人の良さ」などに付け入り、とことん言いなりにさせる。言いなりにならなくなったらブチギレ(本当に、赤の他人なのによくガチでキレられた)、それをもってコントロールしようとする。
が、どれほど毒子に傷つき体験があったとしても、そんなこと、赤の他人の私には何の関係もない。子どもであるA子にだって当然、全く全然関係ない。
私には毒親や支配しようとする人への知識が少しあったから距離を取れたものの、それでも途中までは「これで私がいなくなったらA子が大変な目に遭うのでは」という思いにがんじがらめになっていた。
そうして今思うと、あの時期の私は常に緊張し、常に怒りでいっぱいだった。冷静に物事など考えられなかった。
よくそんな中で何事もなかったような顔をして原稿書いたり人前に出てたなと、つくづく思う。