中学時代、部活で毎日暴言、暴力を受けていたことは前述した通りだが、部活以外の日常もめちゃくちゃだった。当時はヤンキー全盛期。暴走族雑誌『ティーンズロード』(ミリオン出版、1989~98年)に出てくる不良姿そのままの同級生たちは男女を問わず毎日校内で殴り合いをし、私は日々、人の顔が血だらけになり、ボコボコに腫れ上がっていく様子を見せられていた。それだけでなく、教師が生徒をボコボコにすることも日常茶飯事。
そんな中、隠キャの私は息をひそめるようにして暮らしていたものの、ある時期から、学校を「野生の王国」だと思うことにした。治安が悪すぎる猿山みたいなものだと思うと、少し気が楽になったのだ。
そうして表情には一切出さず、しかし、心の中では常にヤンキーをバカにするようになった。自分をいじめる部活の人間にもそうしていた。こんなくだらないスポーツごときができるできない、勝つ勝たないに一喜一憂する愚かなものだと思うようにしたのだ。そうすることで、なんとか死なずにいられた。常に冷笑して軽蔑することが、最大の自己防衛だったのだ。そうしてなんとか、無法地帯の中学時代を生き延びた。生き延びるためには、そんな態度を身につけるしかなかったのだ。
それから数年後。高校を卒業して上京し、当時流行っていた90年代サブカルに触れた時、なんの違和感もなかった。それどころか、「自分以外にもヤンキーをバカにしている人たちがいた!」と猛烈に嬉しくなったことを覚えている。
そんな冷笑系はあれから30年以上経った今も同世代に染み付いており、「社会変革への意識がなく、社会を変えようとする人たちを冷笑する」ような態度は何かあるたびに問題視される。が、ある意味で「冷笑系」は、ヤンキーや暴力に満ちた昭和の学校に傷ついてきた人たちの避難所のような役目も果たしてきたのだ。だからこそ、正面からいくら「冷笑系はいけない」なんて言ってもなんの意味もないだろう。だって私、それなかったらたぶん死んでたもん。私の命の恩人だもん。
ということで、昭和は遠くなりにけり。しかし、その後遺症は私たちの中に今もくすぶっていることを、50歳を目前としながらしみじみ感じている。