2019年4月半ば、14年をともに暮らした愛猫つくしを亡くした。
3月末に病気で「余命1カ月」と宣告されてから数週間、つくしの介護に明け暮れた。
余命宣告をされてからは、自分を責め、日に日に弱っていくつくしの身体を抱きしめながら号泣する日々が続いた。そうしてある時期から猫の死を受け入れつつ、最後の貴重な時間をともに過ごせることに静かな幸福を噛み締めながら看取りの日々を過ごした。
しかし、その境地に達するまでが大変だった。同時に大変だったのが、命の期限を突きつけられてから、できるだけ在宅するように仕事を調整することだった。一人暮らしなので、つくしの世話をできるのは私だけ。よって遠出する仕事は延期してもらった。1日5回の強制給餌があるので、4時間以上は家を空けられないからだ。今まで当たり前だった、「打ち合わせの後に編集者と食事」「取材の後に友達とご飯」なんてコースが、一気に別世界のものになった。
しかし、「看取りの時間」が確保できることがどれほど恵まれているかもわかっていた。フリーランスの文筆業だからこそできることだし、様々な人の善意あってこそだ。会社員だったら、きっとこの時間を得ることだって難しかっただろう。
一方で、余命宣告を受けて、初めてくらいに思った。「同居人が欲しい」と。私が仕事でいない間、給餌を頼めたり動物病院に連れて行ってくれたり、今後の方針をどうするか、責任をもって一緒に考えてくれる人がいたらどんなに心強いだろう、と。
これまで散々「一人暮らし最高!」と気ままな生活を満喫してきたのに、猫の死を前にして、とにかく誰かにいてほしいと切実に思った。誰でもいいからうっかり結婚でもしてしまうんじゃないかというくらいに心細くて、そうして、デビューしてからの19年間で初めて、「仕事が最優先じゃない日々」を送った。
「つくしの“お母さん”としての自分が最優先な日々」――それはある意味新鮮で、以前とは世界がまるで違って見えた。時間の流れも全然違った。
そんな日々が始まったばかりの頃、ある人のブログを読んで、涙が止まらなくなった。「看取り」のための仕事の日程調整をハラハラしながらしていた時に読んだのは、横須賀市議会議員・藤野英明さんのブログ。3月26日に更新されたそのブログのタイトルは「【みなさまへ】2ヶ月間にわたる議会への長期欠席のお詫びと現状報告です」(外部サイトに接続します)。
藤野さんは同世代で、10年に出版した『生きのびろ! 生きづらい世界を変える8人のやり方』(太田出版)という本で取材したこともある人だ。元恋人の自殺を経験し、また自身もうつとパニック障害を抱える身。そんな立場からメンタルヘルスの問題を貪欲に学び、29歳で市議会議員となり、4期をつとめてきた。「反貧困」をテーマにした集会など様々な場で顔を合わせる藤野さんは、私にとってともに生きづらさを抱えながら戦う同志であり、非常に信頼・尊敬している人である。
そんな藤野さんが議会を長期欠席していたことを、私はブログで初めて知った。読み進めると、その理由はうつ病の悪化。18年末にショックな出来事が重なったことが原因ということで、仕事上の問題もあったようだが、家族二人が病気になったことも彼の生活を激変させていた。そうして1月には一人が余命宣告を受け、もう一人が入院となってしまう。
家族のために動けるのは藤野さんだけ。市議会議員の仕事をこなしながら(しかも様々な活動もしているため、昨年は1日の休日もなかったようだ)、闘病と看取りをフォローする日々が始まったのだ。そうして精神的にも肉体的にも追い詰められる日々の中、藤野さん自身のうつ病も悪化し、「長期休養が必要」と入院を勧められる。が、自身が入院してしまうと二人の家族をフォローする者がいなくなる。よって自宅療養とするものの、家族の闘病を支えながら自身の仕事もしてしまうので、少しも「療養」になっていない。
そうして2月、藤野さんは予算議会の本会議での質問を断念。15年9カ月にわたってすべての議会で質問してきたのは自分だけ、という思いがあったものの、「この質問ができなかったら死んでもいい」という自分の異様な精神状態に気付き、断念することができたという。
その2日後、家族が亡くなる。「動けるのは自分しかいませんので、亡骸を引き取り、火葬し、家族だけの弔い」をする。このあたりでやっと、藤野さんも自分の「限界」を受け入れたようで、本格的な療養に入っていく。それがブログのタイトルにある「議会への長期欠席」に繋がった。そうして残された任期があとひと月になったところで、無事に復帰となったのだ。
読みながら、藤野さんが生きていてくれてただよかった、と涙が溢れた。同時に、「この質問ができなかったら死んでもいい」に至るまでの生々しい描写に、過労自殺に追い込まれる人の精神状態がはっきりと見てとれた。本当はそんなことで死ななくてもいいのに、渦中にいる当人は、「これができなかったら死ななければならない」と思わされている。すでに正常な判断ができないのだ。が、うつ病歴20年で、メンタルヘルスに詳しい藤野さんだからこそ、すんでのところで「今の自分はおかしい」と気付くことができたのだろう。
ブログを読み、そして自身の数週間の「猫の介護を中心にした生活」を鑑みて思ったのは、「自身や家族が病んだり介護が必要になった時、仕事や生活をどうすればいいのか」という切実な問題である。
市議会議員の藤野さんは、限界まで、まったく仕事に穴を開けずに家族のフォローと仕事を両立させていた。しかし、一人ですべてを背負い込み、決壊してしまった。
そんな経緯を読みながら、思った。男性が圧倒的に多い地方議員や国会議員の中で、藤野さんのような経験をした人がどれほどいるだろう、と。おそらく、ほとんどいないのではないだろうか。なぜなら、政治家に限らず、男性の激務の背後には、多くの場合、看病や介護や子育てや家事などの一切を背負ってくれる妻や母の存在があるからである。
藤野さんの家族構成などを私は知らない。が、とにかく彼は病気の家族二人を一人で支えなければならなかった。
彼のブログを読んだ少し後、ある新聞記事を見つけた。「女性議員引退、介護のため」という記事だ(朝日新聞、19年4月5日)。統一地方選挙前半戦の投開票日が迫る中、北海道の女性議員二人が、夫の介護のために今期での引退を決めたという内容だった。道議を5期つとめた60代の女性と、3期つとめた70代の女性。家族の介護を抱える身から見えてくる切実なニーズこそ行政に生かされるべきなのに、と残念に思いつつ記事を読んだ。引退するうちの一人、小林郁子道議は、「家族に介護が必要な人が出ると、私たちの世代の女性はどうしても『自分がみなければ』と思う。男性だったら、議員生活を優先していたかもしれない」と語っている。