今年(2023年)に入ってから、親しい人の訃報が続いている。
1月には、鈴木邦男さんが死去。享年79。新右翼「一水会」を創設した人で、メディアにもよく登場していた。私が21歳頃の時に知り合い、物書きになるきっかけを作ってくれるなど非常にお世話になった人で、いつもニコニコしている鈴木さんに、思えば私は会った瞬間からなついていた。
2月には、この20年ほど親しくさせて頂いた「だめ連」のぺぺ長谷川さんが亡くなった。享年56。1992年、仕事が続かない、モテない、なんの取り柄もないなど「だめ」な人たちが「だめ」をこじらせないための場である「だめ連」を結成し、以降30年以上、できるだけ働かず「交流」をメイン活動として生きてきた。
そうしてこのところ、有名人の死も続いている。3月には、ノーベル賞作家の大江健三郎氏が死去。また4月2日、世界的音楽家である坂本龍一氏が亡くなったことが報じられた。そうして4月6日には、ムツゴロウさんこと畑正憲氏の訃報が日本中を駆け巡った。
さて、私にとって「東京のお父さん」のような存在だった鈴木さんの死因は、誤嚥性肺炎。数年前からパーキンソン病などで体調を崩し、入退院を繰り返していた。そんな鈴木さんの晩年を見ていて大きく学んだことがある。それは「愛される」ということが、いかにセーフティネットたりえるかということだ。
その前に強調しておきたいのは、鈴木さんは私が今まで出会った人類の中でもっとも寛容で、もっとも優しい人であるということだ。「右翼」と聞いて連想するコワモテな感じとは真逆。私は鈴木さんが人を否定するのを見たことがないし、上から目線で何かを言うのを聞いたことがない上、何かを押し付けられたこともない。
そんな鈴木さんの暮らしぶりは、出会った時から「清貧」そのものだった。生涯にわたって妻子は持たず、住まいは東京・落合の木造アパート「みやま荘」の6畳一間。晩年までそこに住み、著書には自宅住所と電話番号を掲載。それが鈴木さんなりの「言論の覚悟」だったのだが、そのせいで自宅前の洗濯機を放火されたりもした。一応「右翼のトップ」で様々なメディアに登場する有名人なのに偉そうなところはひとつもなく、いつもみんなと飲むのはびっくりするほどの安居酒屋だった。
そんな鈴木さんの「お別れの会」と「鈴木邦男さんを偲び語る会」には、鳩山由紀夫元首相や鈴木宗男議員、福島みずほ議員など政治家をはじめ、田原総一朗氏や佐高信氏、森達也氏、中森明夫氏、金平茂紀氏、辛淑玉氏などなどそうそうたる言論人やジャーナリストが集結。それだけでなく、追悼の言葉を述べた中にはオウムの麻原三女の姿もあった。硬軟・左右問わずに交友関係は広く、多くの人から愛された鈴木さんの周りには、出会った頃から彼を慕う多くの若い世代がいて、「邦男ガールズ」「邦男ボーイズ」と呼ばれていた。
そんな鈴木さんのすごさを思い知ったのは、数年前、体調を崩しがちになってからのことだ。
とにかく、常に誰かが鈴木さんのそばにいるのである。そうしてイベントや集会への送り迎えをしたり、遠出の講演などに付き添ったりする。お金が発生するわけでもないのに嬉しそうに鈴木さんの「介護」を買って出る邦男ガールズ、ボーイズたち。そんな話を聞くと、「遺産目当てでは」なんて思う人もいるかもしれない。が、残念ながら鈴木さんにそんなものはないだろう。それなのに、みんながこぞって鈴木さんの「介護」をしたがる。こんな幸せなことってあるだろうか。
私は感動していた。超高齢社会の中、特に独居高齢男性は孤独の中にいる。1週間、誰とも口をきかないなんてこともザラにあるようだ。が、それは男性自身に原因があることもままある。例えば介護の仕事をしている友人知人の中には、高齢男性の暴力や暴言、セクハラ、また不機嫌さを撒き散らす言動に悩まされている人もいる。
しかし、振り返れば鈴木さんはいつも機嫌がよかった。そうして知らない人から「ファンです」などと言われようものならニコニコしながら「すみません」となぜか謝り、また、どんな安居酒屋のおつまみにも文句を言わず、「わーい」と無邪気に喜んでいた。そんな人の周りには、自然と老若男女が集まってくるというものだ。鈴木さんにはもっともっと長生きしてもらい、「愛される右翼・鈴木邦男の機嫌良く老後を過ごす方法」みたいな講座を高齢男性向けにやってほしかったと本気で思っている。
お金があるわけでもなく、家族もいない一人暮らしの鈴木さん。だけどおそらく、一度も「孤独死」など心配せずに生涯を終えた。この一点だけで、「人生の勝利者」という言葉がふさわしいのではないだろうか。
一方、56歳で逝ったぺぺ長谷川さんの「死に様」も非常に彼らしいものだった。
20代から最低限のアルバイトしかせず、「交流」を生活の中心にする生き方は「コウリャー」(プロの交流家、的な意味)と呼ばれ、数多くのデモや集会、飲み会に参加してはいろいろな人と交流するぺぺさんの周りには、やはり彼を慕う多くの人の姿があった。