すごい映画を観た。
それは代島治彦監督『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』(2024年、ノンデライコ配給)。
今から約半世紀前、早稲田大学の文学部キャンパスで20歳の学生が約8時間にわたるリンチの果てに殺されたことを、どれくらいの人が知っているだろう?
私がそれを知ったのは、21年に出版された樋田毅著『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)によってである。映画は、この書籍と監督との出会いによって生まれたそうだ。
事件が起きたのは1972年11月。この年の2月には、かの有名な「あさま山荘事件」が起きている。連合赤軍の若者たちが人質をとってあさま山荘(長野県軽井沢町)に立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げた事件だ。この模様は連日テレビ中継され視聴率90%という驚愕の数字を叩き出し、また警察官が極寒の中すするカップめんが注目され、カップヌードルが爆売れするなどした。
この事件の後、連合赤軍の若者たちが仲間を集団リンチなどの果てに十数人殺害していたことが発覚。陰惨な事実は、世間が学生運動にドン引きするきっかけとなった。
私は連合赤軍事件の3年後、75年に生まれたのだが、自分が生まれる前だというのに詳細を知っている。それはこの事件が繰り返し報道され、半世紀経った今も語り継がれているからだろう。それだけでなく、何度も映画化され、書籍化されてきた。
ちなみに連合赤軍メンバーは、「革命」という大義のために「共産主義化」できていない仲間を執拗に追い詰めていくのだが、きっかけは化粧をしていたとか服装が派手だったとかそんなもの。が、ひとたび「総括」「自己批判」要求が始まると、集団はエスカレートしていく。人里離れた山中に作ったアジト「山岳ベース」にて集団での暴行が繰り返され、ある者は極寒の野外に放置され、ある者は「処刑」としてアイスピックで刺されるなどして命を奪われていく。その数、山岳ベースだけで12人。加害者も被害者も、全員20代だった。
私はこの事件を思い出すたびに、「正義」という言葉の持つ危険性に身震いする。それが暴走した時、人はなんでもできてしまうからだ。自分は命を懸けて「革命」をしているのだから、「正しいこと」をしているのだから、「正しくない」相手を殺すことさえ正当化されていくという転倒。この事件は、誰もがハマる可能性がある「正義の罠」の危険性に今も警鐘を鳴らしている。
そんな連合赤軍事件の少し後、内ゲバで多くの若者が殺されたことをどれほどの人が知っているだろう?
私がそれを知ったのは、20年近く前。連合赤軍についての集会に呼ばれた時のことだった。すでに刑期を終えた連合赤軍の元メンバー(半世紀以上経った今も一部メンバーはまだ獄中)らとともに登壇した集会で、ある人が、連合赤軍事件だけがこうして後世まで語られているものの、その後の内ゲバでは100人以上死んでいる、こちらはまったく知られていないという主旨のことを話していて驚愕したのだ。
え、そうなの? そんなの全然知らなかったんだけど。
しかし、それらについて私は積極的に知ろうとはしなかった。また、それらのことがメディアで報じられることもほぼなかった。そうして時間が経ち、2021年、『彼は早稲田で死んだ』が出版された時、すぐに手に取ったのだ。そうして初めて、内ゲバ殺人の詳細を知ったのである。
ここで殺された「彼」について、『ゲバルトの杜』の資料などから説明しよう。
1972年11月、早稲田大学文学部キャンパスで殺されたのは、第一文学部2年生だった川口大三郎君(20歳)。
彼は大学のキャンパス内で革マル派の活動家たちに突然拉致され、学生自治会室に連れていかれる。そこで約8時間にわたってリンチを受け、死亡。遺体は東京大学構内の医学部附属病院前に遺棄され、翌朝、発見される。全身が殴打され、あざだらけで骨折した腕からは骨が見えるような状態だったという。
その日、革マル派は「川口は中核派に属しており、その死はスパイ活動に対する自己批判要求を拒否したため」という内容の声明を発表。しかし、川口君は中核派とはほとんど関係がなく、スパイ活動などもしていなかったという。
学生が大学内でリンチの果てに殺される。しかも、「友人が拉致された」と助けを求めに行っても大学側は何もしない――。
このようなことから一般学生による革マル派への抗議の声が学内で高まる。その過程で新自治会が樹立され、「革マル派追放」運動のリーダーとなったのが、半世紀後に『彼は早稲田で死んだ』を書くことになる樋田毅氏。中国語クラスでは川口君の1年後輩だったという。が、その樋田氏も、革マル派に襲われて重傷を負ってしまう。
そうして川口君事件をきっかけに一層対立を深めた革マル派と中核派の内ゲバは激しさを増していき、互いの組織壊滅を目的とした殺し合いへとエスカレート。血で血を洗う内ゲバは、一般市民が新左翼から離れる大きな原因のひとつとなった。そんな内ゲバによる死者は100名を超えていく(この数には、中核派、革マル派以外の内ゲバも含まれる)。
映画の中、印象的なシーンがある。
それは内田樹(たつる)氏が当時を振り返る場面。彼は当時の若者がデモに行く時の傍若無人ぶりを語る。電車に乗るのも「なぜ、革命のために身を賭している自分がブルジョア企業なんかに金を払わないといけないのか」という理由から無賃乗車。それだけではなく、その辺のおでん屋さんにもお金を払わないというのだからこれはもう「ブルジョア云々」という話ではないだろう。普段、大人しい学生こそがそうして豹変するという。
「この内ゲバのことでいちばん怖かったっていうのは、ほんとうに大義名分が与えられると他人に対して容赦なく暴力を振るうことができる人間っていうのがこんなにたくさんいるっていうことですね。それはぼく、驚嘆しましたね」
そう語る内田氏は、革マル派の友人を内ゲバで殺されている。
そんな映画の冒頭では、川口君の殺害シーンが若い役者たちによって再現される。殺す側は何度も「革命のため」と口にする。「選ばれし自ら」に陶酔したかのように。リンチの最中、川口君の友人たちが、彼を返してほしいとやって来ても、鼻で笑って追い返す。