Ⅲ 『論理哲学論考』――「語り得るもの」と「語り得ないもの」
ただし、ウィトゲンシュタインの到達点を確認する上でも、やはり無視できないのは、その出発点にある『論考』の議論です。ここは初期ウィトゲンシュタイン哲学の詳細を述べる場所ではないので、あくまで、その後の思索の展開を理解するのに必要な範囲で、『論考』の議論を整理しておくことにしましょう。『論考』の再検討と、その修正の先に、保守思想にとっても重要となる「生活形式」の議論が見出されるのです。
では、『論考』とは、一体何を目指して書かれた本だったのでしょうか?
それは、「言語の限界」を明確にすることでした。言い換えれば、「語り得るもの」と「語り得ないもの」との境界を確定する線をどのように引くことができるのか、それが、初期ウィトゲンシュタインにとっての最大の哲学的モチーフだったのです。
では、なぜウィトゲンシュタインは、その境界線を必要としたのでしょうか?
それは、「語り得るもの」の限界を示すことで、「語り得ないもの」を明確にし、その実践へと向かうためでした。私たちは「語り得ないもの」――たとえば「美」や「倫理」や「信仰」といった答えの出しにくい問題――を、安易に「語る」ことによって、世界に要らぬ混乱をもたらしてきたのではないか。それなら、「語り得るもの(経験科学)」と「語り得ないもの(美や倫理や信仰)」とのあいだに境界線を引くことによって、その両者にけじめをつけるべきではないのか。そして、その両者の区別によって、「語り得るもの(経験科学)」と「語り得ないもの(美や倫理や信仰)」との混同を避け、「美」や「倫理」や「信仰」の領域と、その実践を、要らぬお喋り(科学と倫理とを混同して語る様々なるイデオロギーや、そこから導かれる哲学的な疑似問題)から守ることができるのではないのか。これが『論理哲学論考』という本が狙っているところだったのです。
ただし、少し立ち止まって考えてみれば分かることですが、「語り得るもの」と「語り得ないもの」についての境界線は簡単には引けません。というのも、もし、その両者の上に立ってその境界線を引き、境界線の両側について説明してしまうと、「語り得ないもの」を語っていることになり、その行為自体が矛盾に陥ってしまうからです。
そこでウィトゲンシュタインが考えたのが、その境界線(限界)を、「語り得るものの内側」から引くことでした。つまり、言語が世界について何ごとかを語り、それが意味をもち得るためには、一体どのような条件が必要なのか、言語の「条件」を問い質すことによって、逆に、その「条件」の外にあるもの(語り得ないもの)を示し出すこと。これが、『論考』の採った方法だったのです。
では、その言語が意味をもち得る「条件」とはどのようなものなのでしょうか?
概要を示せば、それは、次の二つの「条件」にまとめられます。
一つは、言語を現実の「模型」とすること、つまり、モノと言葉との「写像関係」を引き受けることです(ただし、ウィトゲンシュタインは、モノと言葉のどちらが先にあるのかということは問いません)。そして、もう一つが、「命題」の内部と外部との関係を整序する規則、つまり、世界の秩序を表現する「論理」を言葉に導入することです。この「写像」と「論理」に基づいてのみ、言語による「論理空間」は開かれるのであり、それが〈語り得るもの=思考し得るもの〉の領域の全てだと言うのです。
まず「写像」の議論から見ておきましょう。
「写像関係」を成り立たせているのは、現実を見て私たちが口にする単純な「要素文」――固有名と述語だけからなる文「富士山は山だ」etc……――です。そして、そこから「富士山」や「山」などの「名」が抜き取られ、その「名」がもつ「論理形式」(その名がどんな文脈で用いられるのかということ)に基づいて、様々な命題が作文されます。たとえば、「富士山」は「……噴火する」とは言えますが、しかし、「富士山」は、「……正義感が強い」や「……百ページある」と言うことはできません。これは、「山」という名がもつ「論理形式」(文脈)が、人間や本とは違うものだからです。つまり、世界を写像した要素文から「名」(単語)を抜き出し、それを「論理形式」(文脈)に基づいて並べ替えること、それによって私たちは世界を作文=思考しているのだということです。
その上で、もう一つの条件として登場するのが、「論理」でした。
「論理」は、その「要素文」を成り立たせると同時に、「要素文」同士を繋げる働きをします。たとえば、文法規則に従って作られた「昨日は、雨が降った」という文は有意味ですが、文法規則を無視して作られた「降った、は、昨日、が、雨」という文は無意味でしょう。また、「昨日は、雨が降った」という要素文に、「または」という論理語を加えれば、「昨日は、雨が降ったか、または曇りだった」(AまたはB)という「要素文」同士の関係を示すこともできます。こうして私たちは、複数の論理語――「かつ」「ならば」「~ではない」など――を使うことによって、さまざまな「論理空間」(論理的な可能性)を立ち上げ、それを思考することができるようになるのです。
要するに、世界と言葉との「写像関係」によって立ち上げられた文章を、「論理」を介して様々な可能性に向けて展開させること、そこに現れるのが、ウィトゲンシュタインの言う「語り得るもの」の全領域だったのです。逆に言えば、この「写像」と「論理」という条件をクリアしていない言葉は、端的に無意味だということにもなります。
ただし、ここで誤解してはならないのは、だからといってウィトゲンシュタインが、「語り得ないもの」の存在を無視していたわけではなかったということです。いや、事態は逆なのです。「語り得ないもの」の存在を前提にしない限り、「語り得るもの」の領域は現れない、これが初期ウィトゲンシュタインの中核にある思想でした。
では、「語り得ないもの」とは何なのか? 概要に限ってということになりますが、ここでは、それを大きく分けて、四つ示しておくことにしましょう。
一つ目は、アプリオリ(先験的)に与えられている「写像」と「論理」の力そのものです。私たちは、「写像」と「論理」を介して世界を「語り得るもの」へと変換しているのなら、その「写像」と「論理」の力そのものについては語ることができません。仮に、それらについて語ったとしても、その語り自体が、「写像」(言語が世界に対応していること)と「論理」(言語が秩序を持っていること)の力に依存している限り、「言語に反映されていること〔写像と論理の力〕を、われわれは描写できない」(『論考』四・一二一〔 〕内引用者、野矢茂樹訳、岩波文庫、以下同)のです。
二つ目は、世界があることそれ自体の「神秘」です。そもそも私たちは、世界の存在を前提に、その内側で起こり得る「事態」を言葉にして思考しているわけですが、それなら、世界が存在していることそれ自体は、言語の手前にある「語り得ないもの」だと言うべきでしょう。なくてもよかったものが、しかし、なぜか「ある」。「神秘とは、世界がいかにあるかではなく、世界があるというそのこと」(『論考』六・四四)なのです。
三つ目は、ある現実を前に、それを言葉に変換している「私」の存在です。というのも、〈言葉による思考〉は、「私」という主体がなければはじまらないからです。「私」が言葉の起点である以上、「私」が言葉の内側に表象されることはあり得ません。「主体〔私〕は世界に属さない。それは世界の限界」(『論考』五・六三二)なのです。
そして、四つ目は、この「私」の存在を肯定し、それを支えている様々な「価値」の働きです。生きようとする「意志」、その意志を支えている「倫理」、また、その倫理を輝かせ、それに形を与える「美」、そして、その美において導かれる「幸福」など……、要するに、〈言葉による思考〉の手前にあって、その言葉そのものを支えている「生」と「信仰」の問題、これもまた「語り得ないもの」なのです。ウィトゲンシュタインは言います、「たとえ可能な科学の問いがすべて答えられたとしても、生の問題は依然としてまったく手つかずのまま残されるだろう」(『論考』六・五二)と。
果たして、ウィトゲンシュタインは、『論考』の最後を次のように締め括っていました。
六・五二一 生の問題の解決を、ひとは問題の消滅によって気づく。
六・五二二 だがもちろん言い表しえぬものは存在する。それは示される。それは神秘である。
〔中略〕
六・五四 私を理解する人は、私の命題を通り抜け――その上に立ち――それを乗り越え、最後にそれがナンセンスであると気づく。そのようにして私の諸命題は解明を行なう。
(いわば、梯子(はしご)をのぼりきった者は梯子を投げ棄てねばならない。)
私の諸命題を葬りさること。そのとき世界を正しく見るだろう。
七 語りえぬものについては、沈黙せねばならない。
ここで言われる「梯子」とは、あの「写像」と「論理」に媒介された「語り得るもの」のことを指しています。とすれば、『論考』という本の主題を、こう言い換えてもいいでしょう。「『語り得るもの』の限界を認識した者は、その領域を去り、沈黙を通じて、『語り得ないもの』の領域、すなわち、生きることの問題(実践)へと向かうべきだ」と。そして、ウィトゲンシュタイン自身、本当に哲学を捨て、「沈黙」を通じて教師の実践へと向かって行ったのでした。
しかし、すでに述べたように、この『論考』の完成から10年後の1929年、ふたたびウィトゲンシュタインは哲学の現場に戻ってきます。それは『論考』の視点からすれば、挫折以外の何物でもなかったでしょう。が、その挫折の向こう側にこそ、保守思想にとって重要な議論――ウィトゲンシュタインの「生活形式」の思想が仄見えてくるのです。