Ⅳ 『哲学探究』の思想――訓練・慣習・生活形式
ケンブリッジに戻ったウィトゲンシュタインは、その後、約20年間にわたって哲学的思索を深めていくことになります。その集大成が、『論考』を修正し、それを乗り越えるようにして書かれた『哲学探究』という本でした(1936年に書き始められ、ウィトゲンシュタインの死の2年後=1953年に刊行)。では、『哲学探究』のウィトゲンシュタインは、『論考』の議論の一体どこに、修正の必要を感じていたのでしょうか?
実は、それを考えるのに丁度いい言葉が、『哲学探究』のなかにあります。
「現実の言語について詳しく考察すればするほど、それと我々の要求の対立はますます激しくなる。(実際のところ論理の結晶の様な純粋さが私に示されたわけではなく、それは一つの要求だったのだ。)対立は耐え難くなり、我々の要求はもはや空虚なものになろうとしている。――我々はツルツル滑る氷の上に入り込んだのだ。そこには摩擦がない。だからある意味で条件は理想的である。しかし、まさにそのために前に進めないのだ。我々は前に進みたい。だから摩擦が必要なのだ。ザラザラした大地に戻れ!」『哲学探究』第107節、鬼界彰夫訳、講談社
ここで言われている「ツルツル滑る氷の上」というのは、まさに『論考』の世界のことを指しています。『論考』は、「論理の結晶の様な純粋さ」を湛えてはいるが、しかし、それは経験によって「示された」ものではなく、「一つの要求」によって虚構されたものだったのではないか。確かに、「条件は理想的」だが、だからこそ、そこには「摩擦」の手応えがないのではないか……。これが、『論考』に対する『哲学探求』の批判でした。
しかし、では、『論考』のなかのどのような議論に、ウィトゲンシュタインは「一つの要求」(虚構された理想的条件)を見出していたのでしょうか? それは、『論考』の基礎にあった、あの二つのアプリオリ(先験的)な条件、「写像」と「論理」でした。
まず、「写像」の問題点から見ておくことにしましょう。
「写像関係」の基礎にあったのは、固有名と述語からなる「要素文」(富士山は山だ)でしたが、『哲学探究』のウィトゲンシュタインは、その「要素文」を構成している「名」に注目します。現実の「摩擦」は、その「名」において取り戻されるのです。
「私がナッツのこの集まりにある名をつけたい場合、相手はそれを数の名だと誤解するかもしれない。そしてまったく同じように、私が人名を指し示しによって説明しようとするとき、それを色名や民族名と、場合によっては方角名と理解するかもしれないのである。つまり直示的定義というものには、どんな場合にも様々に解釈される可能性があるのだ。」前掲書、第28節
たとえば、一匹の犬を指し示して、「これはポチだ」と言ったとします。しかし、それだけで「直示的定義」は成り立つのでしょうか。「ポチ」というのは、その毛色を指しているのか、その眼の色を指してるのか、尻尾を指しているのか、はたまた、その犬種を指しているのか……、解釈は一定しません。では、「この犬はポチだ」と文脈(論理形式)を限定してみたらどうでしょうか。しかし、それでも後期ウィトゲンシュタインは納得しません。そして、むしろこう反問するのです、「我々は『この色を……と呼ぶ』、『この長さを……と呼ぶ』等と言うことによって誤解を予防できる。しかし、そもそも『色』や『長さ』という言葉は、そのようにしか理解できないのか?」(前掲書、第29節)と。
つまり、あの『論考』のなかで、言語のアプリオリな条件とされていた「写像関係」が、しかし、『哲学探究』のなかでは、徹底的な懐疑と批判にさらされるのです。
そして、その懐疑は、『論考』のもう一つの柱である「論理」にも向けられていました。その際に登場するのが、あの有名な「規則のパラドクス」の議論です。
たとえば、教師から「+2」を命じられた生徒が、今、順調に「0, 2, 4, 6, 8……」と書き出しているとしましょう。しかし、「1000」を超えたところから、なぜか急にその生徒が、「1000, 1004, 1008, 1012……」と書き出したとします。では、そのとき私たちは、その生徒の「間違い(?)」を、「論理」的に訂正することはできるのでしょうか? これが後期ウィトゲンシュタインの「論理」に対する懐疑でした。
『自分が何を書いているか、よく見なさい!』と我々は彼に言う。―だが彼には、何を言われているのかわからない。『君は2を足さないといけないのだよ。自分がどんふうに数列を書き始めたかを見なさい!』と我々が言う。―『ええ、これで正しくないのですか? こうするものだと思ったのですが』と彼は答える。――あるいは、彼が数列を指して、『僕は同じように続けているんですけど!』と言ったとしよう。―ここで我々が『でも君には……ということがわからないのか?』と言い、―前の説明と例を繰り返しても、それは何の役にもたたないだろう。―こうした場合には、『この人間は生まれつき、我々の説明に基づいてあの命令を理解する際に、我々が「1000までは2を、2000までは4を、3000までは6を足せ」という命令を理解するように理解するのだ』と言うことができるかもしれない。」前掲書、第185節
このエピソードが教えているのは、一つの規則「+2」を示しても、それこそ「論理的」には、それに対する「解釈」は無数に開かれてしまうということです。
もっと分かり易い例を見ておきましょう。たとえば、「1, 2, 3, 4, 5,……」という数列を見れば、普通はそこに「+1」の規則を見出して、私たちは「6, 7, 8, 9, 10……」と続けたくなります。が、論理的には、その解釈は「+1」に限りません。ある人は、そこに反復の規則を見いだして、「1, 2, 3, 4, 5, 1, 2, 3, 4, 5, 1, 2, 3, 4, 5,……」と続けるかもしれないからです。つまり、〈有限の情報=一つのアスペクト〉から〈無限に反復可能な規則=意味〉を見出す行為には、常に一つの飛躍が孕まれているのであり、そこに一定した規則=道は存在していないのだということです。
しかし、それでは、その〈意味の揺らぎ=飛躍〉に面して、私たちは常に迷い、混乱し、不安を覚えているのでしょうか? そうではないでしょう。ここにおいて、後期ウィトゲンシュタインの語る「訓練」と「慣習」、つまり、「論理」(ルール=規則)より手前にある「行為」(プレイ=遊び)の問題が見出されることになるのです。先ほど私は、「『1, 2, 3, 4, 5,……』という数列を見れば、普通はそこに「+1」の規則を見出して」と書きましたが、言ってみれば、ここではその「普通」こそが、論理を超えた「神秘」、あるいは「語り得ないもの」として見出されることになるのです。解釈の〈変化〉や〈幅〉を許容しながら、しかし、そこに一つの〈直観的な方向性=確信〉を見出させるもの、それこそが、私たちが、日々の実践を通じて無根拠に馴染んでいる「生活形式」ではないのか、後期ウィトゲンシュタインの思想は、このとき示されるのです。
「『すると、私がどんなことをしても、それを規則に一致させることが可能なのか?』―規則の表現、—例えば、道標〔→〕—が私の行動にどう関係しているのか、ということをここで私は問いたい。そこにはどんな繋がりがあるのか?—そう、例えば、私はその記号にある仕方で反応するように訓練され、今、そのように反応している、といった繋がりがあるのだ。」第198節、〔 〕内引用者
「―規則に従うこと、伝達すること、命令すること、チェスの対局をすること、これらは慣習(慣用・制度)である。」第199節
「『それでは君は、人間の間の一致が、何が正しく、何が間違いなのかを決めると言うのか?』―正しい、間違っている、とは人間が語ることだ。そして言語において人間は一致している。それは意見の一致ではなく、生活の形の一致だ。」第241節
かくして、ウィトゲンシュタインは、自らが紡いだ『論考』の議論を――「写像」と「論理」による「語り得るもの」の限定を――自らの手で打ち壊すことになります。しかし、だからといって、ウィトゲンシュタインが、ポストモダン的な相対主義(意味の戯れ)に流れたわけではありません。むしろ、〈意味の揺らぎ=言語ゲーム〉を許容しつつも、その底の方に、それを鎮め落ち着かせているものとしての「慣習」を、人々が無意識のうちに生きている「生活形式」を見出すことになるのです。
もちろん、その「生活形式」のなかで、私たちが言葉を発し、その言葉の内側で「意見」や「解釈」を戦わせているのだとすれば、「生活形式」そのものは、「意見」や「解釈」(イデオロギー)ではあり得ません。それは、無根拠に信じられ、盲目的に従われ、解釈抜きで生きられているものです。ウィトゲンシュタインは言います、「根拠を使い果たしたら、私は硬い岩盤に行き当たってしまう。そして私のシャベルははね返される。そのとき私は、『とにかく私はこのように行動するのだ』と言いたくなる。」(第217節)と。そして、この「硬い岩盤」、つまり、ある慣習文化によって自然な身体反応にまで整えられた振る舞いのことを、ウィトゲンシュタインは「自然誌」と呼ぶのです。