Ⅳ『「いき」の構造』と日本人の倫理——「おのずから」と「みずから」と
ところで、この『偶然性の問題』(1935年)の視座から、その五年前に書かれた九鬼周造のもう一つの代表作『「いき」の構造』(1930年)を振り返ったとき、ようやく私たちは、九鬼周造における「生き方」についての具体的洞察を手にすることができます。
ヨーロッパ留学から帰国した翌年の1930年、『「いき」の構造』を刊行した九鬼は、いま、ここにおける他者との出会いの倫理として、日本的な「いき」——「いき」は、生、息、行、意気でもあります——について論じながら、それを、まさに異性(他者)に対する「媚態」と、武士の道徳的理想としての「意気地」、そして、仏教的な諸行無常を伴った「運命に対する『諦め』」の絡み合いとして語ることになるのでした。九鬼は言います、「運命によって『諦め』を得た『媚態』が『意気地』の自由に生きるのが『いき』である」と。
九鬼によれば、人は誰しも、目の前の異性に対して「媚態」を示します。要するに、他者に気に入れられようと気を遣うわけですが、しかし、それが行き過ぎると、自己は他者との関係のなかで身動きがとれなくなってしまい、野暮に堕します。そこで必要になるのが、他者に引き摺られまいとする「意気地」ですが、しかし、これも行き過ぎればナルシスティックな自己絶対化の傾きを帯び、やはり野暮に堕してしまいます。そこで、最終的に呼び出されるのが、「運命に対する知見に基づいて執着を離脱した無関心」である「諦念」だということになるわけですが、ここで重要になるのは、だから「運命」に対する〈明らめ=諦め〉こそが、私たちの「媚態」と「意気地」の緊張を柔軟に保つのだという議論です。
「媚態」とは、言ってみれば、他者に対する配慮によって、その距離感を自分でコントロールしようとする意識を指しますが、もちろん、そんな自意識は「運命」の前では無力でしかありません。「運命」が計算を超えた偶然性である限り、それを明らめた私たちは、「媚態」の限界から、次第に「意気地」の自由に目覚めていくことになります。が、繰り返せば、その「意気地」もまた「運命」の前では無力であるほかはありません。他者に対して、いくら自分の意地を通そうとも、それがどのような結果をもたらすかは、やはり見透せないのです。
なるほど、これだけを言うと、「運命」に対する諦念は、ニヒリズムと背を接しているかのようにも思えてきます。が、しかし、見方を換えれば、これほどまでに、意味の囚われから、人間の〈生=いき〉を解放し得る認識もないのではないでしょうか。成るように成り、成るようにしか成らないのであれば、その〈全体=運命〉を明らめ、諦めた人間においてのみ、為すべきこともまた明らかになるからです。すなわち、「運命」への「諦め」を背景に、いま、ここにおける他者との偶然的な出会いを引き受け、それに対する「媚態」と「意気地」を徹底的に生きること、一期一会の出会いに全身全霊で向き合いながら、後は「運命」に任せること。九鬼は、この「おのずから」なる運命を引き受けながら、そこに「みずから」の努力を刻み込んでいく生き方のなかに、日本人の倫理=ユーモアを見出していました(ちなみに、日本の庶民宗教である浄土宗及び浄土真宗の中心的な念仏「南無阿弥陀仏」の意味は、阿弥陀仏=はかり知れない光・自然に、南無=全てを任せるという意味です)。
しかし、ここまで来れば、九鬼周造の主題と、西田幾多郎の主題が、その見た目の違い——西田幾多郎の一元論と九鬼周造の二元論という見た目の違い——を超えて、案外に近いものだったことも納得できるのではないでしょうか。つまり、「個人」の自意識(対象意識)を去ることによって「純粋経験」の位相を明らかにし、その「純粋経験」によって、目の前の他なるもの、多なるものとの関係を「統一」しようとした西田幾多郎と、「運命」に対する〈明らめ=諦め〉によって、打算的思考を突き放し、それによって、目の前の他者に対する「媚態」と「意気地」をマネジメントしようとした九鬼周造。両者ともに、己の自意識(煩悩)を突き放すことによって、現実を生きるその「生き方」をこそ語っていたのです。
たとえば、次のような日本人論は、西田と九鬼の隠された絆を示しているでしょう。
「西洋文化は大体に於て環境から主体へと考えられるものであろう。〔中略〕之に反し何処までも主体から環境へと云うことは、自己矛盾的に主体が自己自身を否定して環境的となる、物となると云うことでなければならない。〔中略〕私は日本文化の特色と云うのは、主体から環境へと云う方向に於て、何処までも自己自身を否定して物となる、物となって見、物となって行うと云うにあるのではないかと思う。己を空うして物を見る、自己が物の中に没する、無心とか自然法爾とか云うことが、我々日本人の強い憧憬の境地であると思う。」西田幾多郎「日本文化の問題」昭和13年講演、1940(昭和15)年3月初出、『近代日本思想選 西田幾多郎』小林敏明編、ちくま学芸文庫
「日本の道徳の理想にはおのずからな自然ということが大きい意味を有っている。殊更らしいことを嫌っておのずからなところを尊ぶのである。自然なところまで行かなければ道徳が完成したとは見られない。その点が西洋とかなり違っている。いったい西洋の観念形態では自然と自由とは屢々対立して考えられている。それに反して日本の実践体験では自然と自由とが融合相即して会得される傾向がある。自然におのずから迸り出るものが自由である。自由とは窮屈なさかしらの結果として生ずるものではない。天地の心のままにおのずから出て来たものが自由である。自由の『自』は自然の『自』と同じ『自』である。『みずから』の『身』も『おのずから』の『己』もともに自己としての自然である。自由と自然とが峻別されず、道徳の領野が生の地平と理念的に同一視されるのが日本の道徳の特色である。」九鬼周造「日本的性格」1937(昭和12)年12月初出、『近代日本思想選 九鬼周造』田中久文編、ちくま学芸文庫
西田幾多郎が「主体から環境へ」と言い、九鬼周造が「自然と自由とが融合相即して会得される傾向」と言っているのは、日本人の「生き方」を示した言葉であると同時に、また、西田と九鬼という哲学者が、彼ら自身を救うために必要とした言葉でもありました。
もちろん、「おのずから」(環境・自然)と「みずから」(主体・自由)とを「相即」させようとする日本人の倫理は、「自然に帰れ」と言ったルソー的な疎外論でも、単に「であること」(丸山眞男)を惰性的に肯定した日本的ズルズルべったりでもありません。
倫理学者の竹内整一は、日本思想史における「おのずから」と「みずから」との間の葛藤を振り返りながら(『「おのずから」と「みずから」』ちくま学芸文庫参照)、それが、全てのことを成り行き(なりてなりゆくいきほい)に任せてしまうような惰性(この現実世界をそのまま覚りの世界と重ねる天台本覚思想)とは反対に、むしろ、二つの力の「あわい」に現れる「緊迫した位相」をこそ明らかにしているのだと書いていました。が、それはそのまま、西田幾多郎の「純粋経験」や、九鬼周造の「運命」においても指摘できることでしょう。
つまり、「みずから」(自力)の限界で、「おのずから」(純粋経験・運命・他力)の他性に直面し、その「おのずから」への信頼によって、再び「みずから」の形を整えること。この循環的で無限の運動のなかに現れる〈あわい=いき〉の感覚は、むしろ、「ウチ」を絶対化して「ソト」を排除する日本的「空気」(山本七平)からは無限に遠いものであると同時に、「であること」に居直った日本的ズルズルべったりとも全く違うものでしょう。言い換えれば、「おのずから」の他性を忘れ、「みずから」の自意識だけにナルシスティックに執着した囚われ、それこそが「空気」を導くのであり、あるいは、「みずから」の緊張を忘れ、「おのずから」なる現実に流されるだけの惰性、それこそが日本的ズルズルべったりを導くのだということです。
いずれにせよ、この「おのずから」と「みずから」とのあわいにおいて、その「相即」を探し出そうとする姿勢、それこそが「自然」——受動性と能動性の平衡——に従うことを倫理としてきた日本人の生き方でした。この規範に基づいてのみ、日本人は自らの「不自由」を贖(あがな)い、己の「自由」を見出してきたのです。それは、西洋文明との出会いを果たし、「近代的個人」「近代的自我」などという言葉を教わってなお変わることのないものでした。
少なくとも、西田幾多郎と九鬼周造の哲学は、そのことを如実に示しています。