コソボはヨーロッパで第1位のIS戦闘員供給国
連載第14回、第15回は、NATOによる旧ユーゴスラビア空爆後の20年間を“振り返る”ことがテーマであったが、2019年のコソボを取材するにあたって、もう一つ、「現在の問題」としてIS(イスラム国)とこの国との浅からぬ関わりを聞き取りたかった。
コソボが2008年にセルビアから分離独立して建国できたのは紛れもなく、米国の強引な支援と承認による。それゆえにコソボ国民(=大多数であるアルバニア系住民)がアメリカに向ける感謝の表意は派手派手しく、首都プリシュティナの目抜き通りはNATO空爆を主導した米国大統領の名を冠して「ビル・クリントン通り」と改称され、2019年には街なかに、空爆当時米国国務長官であったマデレーン・オルブライトの銅像が建てられた。コソボより17年前に旧ユーゴスラビアから独立を宣言したクロアチア政府も、独立を真っ先に認めてくれたドイツに対してさえ、ここまで露骨な謝意を示しはしなかった。
つまるところ、コソボは政府も国民も世界で最も親米の国である。にもかかわらず、なぜか米軍に牙を剥くISへと向かう若者があとを絶たない。
ISは世界中から傭兵を募っているが、どの国からの参戦が多いのかをアメリカの放送局「ラジオ・フリー・ヨーロッパ」が調査した結果によれば、コソボは100万人あたり83人が参戦しており、ボスニア・ヘルツェゴビナの92人に次いでヨーロッパで2番目の多さである(2015年1月)。ボスニアの場合は、ボスニア紛争のときに、イランを中心とした中東諸国からムスリム勢力の援軍としてやってきて、そのままボスニア国籍をあてがわれたジハーディストたちが、今度はISに行っているので、傭兵たちはもとからのボスニア人ではない。そのことを考え合わせれば実質上、コソボはヨーロッパで第1位のIS戦闘員供給国となっている。これは脅威である。
アルバニア人をシリアに向かわせるもの
第15回でセルビア南部ブヤノバツ市のシャイップ・カンベーリ市長に取材した際、親コソボ派でありアルバニア人である政治家にとってタブーとも言える質問の一つとして、この問題もぶつけた。セルビア領土内ではあるが、ブヤノバツはコソボに近く、アルバニア系住民が多数を占める都市である。コソボからISへ向かうアルバニア人についてどう考えているのか? カンベーリは瞬間、顔色を曇らせたが、真摯に問いに向き合った。その実態を自らも調査し、報告も受けたという。
「ISには、実はわがブヤノバツ市からも3人参戦している」
驚いた。コソボだけではなく、セルビア南部のアルバニア人もISに向かっていたとは。
「ISへの組織的な派兵の動きがあるわけではない。個人が勝手に行ってしまうのだ。確かにアルバニア人はイスラム教徒だが、それはあまり関係ない。問題はこの地域の社会保障が乏しい点にある。多額のギャランティをISのリクルーターから提示されてしまうことで心が動き、宗教意識からではなく、生活苦からシリアに向かって戦闘員になるのだ。アメリカを愛する我々アルバニア人からすれば、残念なことだ。このIS問題はコソボ当局が解明しないといけない」
筆者も20年来見てきたが、もともとコソボのムスリムは、政教分離が徹底していた。戒律も緩く、サウジアラビアの取材を終えてコソボに来た記者などは、「ここのムスリムは女性もヒジャブを被らないし、ラマダンすらまともにしようとしないので西ヨーロッパかと錯覚してしまう」と驚いていた。実際、コソボ紛争も、イスラム(アルバニア人)対東方正教(セルビア人)の宗教対立というよりは、自治権はく奪に対する反発が最初にあり、言語教育や土地に対する執着に起因するものであった。
だから、本来イスラム原理主義から「ISが集結するシリアへ向かい、IS戦闘員としてジハード(聖戦)に参加するべきだ」という誘いがあったにしても、それだけでは首を縦には振るとは思えない。(実際に、宗教対立ならばボスニア紛争時に、反セルビアの姿勢からコソボから同じムスリム勢力に加勢しにサラエボに向かったアルバニア人民兵部隊がいてもおかしくはないが、そんな事例は無い)。しかし、現在は貧困がこの行動を後押ししている。まさに傭兵としての参加である。
コソボ出身でひときわ有名なISの幹部兵士、ラブデリム・マハジェリという人物がいる。マハジェリは、プリシュティナから約55キロの距離にあるカチャニック市の郊外ドゥシュカイ村の出身で、2014年、シリアで自らがイラク兵の人質の首を鉈で切り落とすシーンをフェイスブックに投稿して、世界を震撼させた。その後、マハジェリは2017年6月の戦闘において米軍によるドローン攻撃で戦死した。死亡が確認されるとドゥシュカイ村の実家では、追悼のための記帳所が設けられた。このマハジェリもISのリクルーターによってシリアに渡っていたのであるが、以前、コソボにいた頃はボンドスティールの米軍基地で働いていたという。米軍に奉職していた人間が、一転、ISに向かって戦闘に参加していたという事実が興味深い。やはり、彼らをテロ組織に向かわせているのは、宗教やイデオロギーではなく、ビジネスなのか。
貧困と傭兵
カンベーリ市長への取材の翌日は、プリシュティナ市内にある日刊紙「ゼーリ」の編集部を訪れた。ゼーリにはISに渡る人々の問題を追っている女性記者がいるのだ。記者の名はエミーラ・スキラーチャといった。若い。1995年生まれの24歳である。