出身と両親の仕事を尋ねると、「私はシュトゥデームという村の出身です。父はいません。『ラチャクの虐殺』で犠牲になったのです」と答えた。
「ラチャクの虐殺」とは、1999年1月、プリシュティナ郊外ラチャク村でアルバニア系住民約40人がセルビア兵によって殺された事件である。私は当時、遺体が放置された現場に入って取材をしていたが、その遺族に会うのは初めてである。あのときの情景が思わず脳裏に浮かんだ。寒気が襲うジャミア(イスラム寺院)の床に老若男女、45体の躯(むくろ)が並んでいた。あらためて20年の月日の経過を思い知らされた。そのときの犠牲者の娘が、今、目の前にいるのだ。
「父親がラチャクで殺されたのは、私が3歳のときですね。ですから父の記憶はおぼろげです。その後に空爆が始まり、母親とマケドニアのゴスティバルに避難していました」
空爆が終わり、セルビア治安部隊がコソボから撤退した後、故郷に戻り、ジャーナリストを志して新聞学を専攻し、現在はゼーリ紙で仕事をしている。あなたが追っている、コソボからISへ多くのアルバニア人が流出している現象について伺いたい、と問うた。
意志をもって記者を選んだだけあって、エミーラの取材と報告は緻密だった。
「2019年4月、コソボ政府の法務大臣から、たくさんの人がシリアから戻ってくると言う発表がありました。それはつまりISにいた人たちです。32人の女性、74人の子ども、4人の戦闘員が帰国したのです」
意表を突かれた。兵士だけではなく、家族ごとISに移住をしていたとは。それは皆、マハジェリの故郷、カチャニックの出身者なのだろうかと訊くと否定された。コソボ全土おいてISのリクルーターが活動しているのだという。
「ISへ渡るプロセスは2通りあります。一つは、イマーム(指導者)を名乗るリクルーターがコソボに入り込み、モスクで『ISの闘いは我々にとってのジハード(聖戦)だ』と洗脳し、戦闘員にするというものです。現地への入り方? まずコソボのパスポートがあればノービザで行けるトルコに入り、イスタンブール経由でシリアに入国するというルートです。この洗脳型リクルートが最も激しかったのが、2015年から2016年でした。それ以降はコソボ当局も取締りを厳しくしたのです。
これとは別に、自分たちの意思でシリアに渡った家族もいるのです。理由は教育の不足と貧困です。コソボ全体の平均月収が400ユーロ(約4万8000円、1ユーロ≒120円)。失業率は3割。彼らはもう、ジハード以前にお金をもらえるということでシリアに向かうのです。マハジェリもどちらかと言えばこのタイプでした」
なるほど、ならば、マハジェリにとってはボンドスティール基地で働くことも、おそらくはそこから飛び立って来た米軍機に向けて、ISの戦闘員として迫撃砲で攻撃をしかけることも何ら矛盾はしていない。要は稼ぐためである。エミーラは続ける。「しかし、当然ながら全員がマハジェリではありません。それぞれ現地に着いてから、これはテロに加担することになると知って帰国を望み、逃げ出した人々もいます」
ISから逃れる人々
エミーラの取材によれば、それは厳しい逃避行であった。
「シリアを脱出するために陸路でトルコに向かうのですが、途中で捕まって鞭打ちの刑になった女性もいます。4月に帰ってきた女性も、多くが肩に鞭の傷を負っていました。コソボ政府はアメリカの手前、戦闘員の4人を帰国させるとすぐに逮捕して刑務所に入れました。懲役9年です。子どもたちは裁きの対象にならず、女性は外出禁止令を出されています。彼らをシリアに送り込んだイマームはほとんどが逮捕されました。逮捕者は約200人。これだけのリクルーターが入り込んでいたというのは驚くべきことです」
エミーラはシリアから帰国後、家にこもっている女性をひとりひとり訪ね歩いたという。何も話したくはないという取材拒否が多かった。当然であろう。ここでエミーラのジャーナリスト魂が燃え立った。何度も足を運んで信頼をかちえて肉声を引き出した。
「ある戦闘員の妻は言いました。『私たちは騙されていた。夫からトルコに休暇に行こうと言われて、実はシリアに連れていかれたのです。シリアで生活していた他のアルバニア人女性にも会いましたが、彼女たちも騙されていました。私たちの時間を返して欲しい』と」
現地で妊娠し、シリアで子どもを産んだ女性もいる。女性はこういうときにいつも二重、三重の被害者になるのです、とエミーラは目を伏せた。「彼女たちはシリアに来た米軍に助けられて、再びトルコ経由で帰って来ました」
コソボ当局の情報によれば、戦闘員とその家族、約300人のコソボ出身者がISに合流し、このうち79人が戦闘もしくは粛清で殺されている。死者の内訳は76人が男性で3人が女性。また、彼らがシリアにいた間に約60人のコソボ国籍の子どもが生まれている。
これらの事実をエミーラは「シリアの闘いで見た大きな欺瞞」というタイトルで2019年5月20日付ゼーリ紙の記事にした。読者の反響はすさまじかった。
「アメリカは私たちにとっての英雄ですからね。ほとんどすべてのコソボのアルバニア人はそこに敵対する勢力は嫌うんですよ。だから貧困のためにISに向かった人々がいたことは、市民にとっては大きなショックでした」
3歳で父がジェノサイドの犠牲になり、4歳で自身が難民となり、そして今、記者となって祖国を襲う混乱を最前線で取材している。彼女の人生に思いを馳せると胸が詰まる。それでもエミーラの表情やまなざしには、幾分の憎悪や暗さも感じられない。ただファクトを伝えたいという冷静さと、対象に向ける熱が伝わってくるだけだ。
エミーラは、「自分がどこにいるのかを確認するためにもジャーナリズムに携わっていきたい」と言う。「殺された父の事件は成人しても受け入れられない部分はあります。コソボの独立は嬉しいこと。しかし、コソボのアルバニア人はコソボのセルビア人と共に生きていくことが、命題であるとも思うのです。だから私の記事も、マジョリティであるアルバニアの民族主義におもねるようなことはしない」
アルバニア・ナショナリズムが目立つコソボでも、かように民族属性に縛られない若い知識層が育っているのもまた事実である。