いびつなコソボ支援構造
一方で、コソボとISの関係は、独立後も、コソボの経済格差が埋まっていないことの証左でもある。もともと、コソボは旧ユーゴスラビアの自治州だった時代から自立した経済状況にはなかった。北部の豊かな工業国であるスロベニアやクロアチアが、コソボなど旧ユーゴの貧しい地域を支えていたのであるが、その支援元が現在では欧米諸国に代わったに過ぎない。
OECD(経済協力開発機構)のデータベースによれば、コソボに対する国民一人当たりの援助額は世界でもトップクラスで、サハラ以南のアフリカ諸国よりも多いという。もしもコソボが経済破たんをしたら、NATO軍や欧米諸国が旧ユーゴスラビアに対して行ったことの大義が根底から問われてしまう。それゆえに欧米諸国は意地になって援助を続けているが、矛盾だらけのこの支援構造を揶揄し、EUのお荷物となったギリシャのことを「コソボ化」と呼ぶ者さえいる。
唯一の産業と言える観光は、皮肉なことに、世界遺産に指定されているペーチ(コソボ北西部の都市)郊外のデチャニ修道院にせよ、ビザンチン文化のグラチャニッツァ修道院にせよ、セルビア正教と関わりが深い建築物なので、「コソボはセルビアの聖地」であるというセルビアの主張を補強しかねない。そのため、コソボ政府もあまり積極的にPRできないのが現状である。
クリントンを歓待するコソボ
エミーラを取材した6月12日は、NATOによるユーゴ空爆20周年を祝う式典の当日でもあった。ゼーリ紙編集部を出て、はて、今回の式典の主役の一人であるクリントンが、プリシュティナのどこに泊まっているのか、考えてみた。当たりをつけたのは、ダイヤモンドホテルだった。かつてここには、イリリアというドミトリーの安宿があり、イタリア軍が駐留していた。それが今では、西側の資本によって超高級ホテルに建て変えられている。入り口のカフェで張り込んでいると、突然SPの集団に先導されて本人が出てきた。
「ビル・クリントンだ」たちまち、第42代米国大統領は民衆に囲まれて大歓迎を受ける。空爆を主導した男が、満足げに鷹揚に握手や写真撮影に応じるのを見るにつけ、暗澹たる気持ちになった。
本コソボ取材の半年後、米国はイランのスレイマニ司令官をドローンによるミサイル攻撃で殺害した。またしても国連を通さない、国際法に反する行為であり、主権国家に対するテロである。21年前のユーゴスラビアを想起せずにはおられない。民主党であろうが、共和党であろうが、米国の体質は変わらないのか。