キム その通りです。剽窃であることは作品を観比べればすぐに分かるのに、何故それを認めなかったのか。初めは釜山国際映画祭が、『揺れる心』と『本名宣言』の比較上映会をやると発表しました。ところが、急に上映会にストップがかかり、ホン・ヒョンスクと親密な審査委員たちは自分たちだけで2作品を観比べたと言って、これは剽窃ではないと発信しました。映画評論家たちもこれに同調しました。すると、多くの人がそれを信じました。なぜなら実際に映画を観て確認することができないからです。
韓国の民主化運動世代
――被害者を一方的に悪者にしたわけですね。聞いていると、個々人ではなく、韓国の民主化世代(通称「386世代」=60年代に生まれ、80年代に大学生で90年代に30歳代だった世代)が丸ごと内包している問題のようで、根が深いと感じます。
キム 私はこの韓国の386世代に対して、とてもアンビバレント(両価的)な感情を抱いています。386世代が国家の独裁政治に対抗し、国家の独裁政治に対抗し、韓国に民主化をもたらしたのは尊敬されるべきことです。そしてこの世代が共通して持っている集団経験と集団性は、ほとんど彼らのDNAに組み込まれていると私は考えます。強大な敵を相手にするには大きな塊となって闘うしかなかったですし、その中に誰か統率者がいれば、その下にいる人たちは一丸となって軍隊のように働きます。それが効果的だったからです。
――日本では「68世代」、全共闘世代と呼ぶのですが、価値観の変遷と戦闘性はその世代と似ている気がします。
キム そうですね。ですが韓国の方は政権に勝利しましたね(笑)。
この剽窃問題にも言えると思うので私の分析を申し上げるのですが、386世代は20代で独裁国家という大きな敵と闘った経験から、自分たちは常に倫理的に優れているといったアイデンティティを持つようになりました。この世代が30代になって金大中(キム・デジュン)が大統領になったとき、それまで闘争してきた人たちがさまざまな組織の中枢で積極的に登用されるようになります。政界、映画界にもたくさん進出するようになり、それぞれのフィールドで成果を出し始めました。
――民主化を求めて闘った上でそれが成就し、さらには新しい体制に入って巨大な成功体験をしたと。
キム はい。なぜこの『本名宣言』事件のような単純な剽窃問題が、加害者と被害者が入れ替わるというトンデモない(話にならない、ありえない)事件になってしまったのか。それを理解するためには、運動圏世代(386世代のこと)の「倫理的正当性」という集団的アイデンティティを理解する必要があるのです。
映画業界内部から自浄の動き
――386世代の問題とも言えますが、一方でこんな剽窃に蓋をするのは恥ずべきことだと、業界の自浄のために声を上げる韓国映画人も出てきました。キム監督のパートナーであるパク・ギョンテ監督は、この『本名宣言』事件を追及する小論文を書いていると聞きました。その中で、『ナヌムの家』(1995年)、『火車』(2012年)などを撮られたピョン・ヨンジュ監督もインタビューに答えてくれたそうですね。
キム はい。彼女がこの問題について公式に発言するのは初めてです。とても憤っていました。小論文に記された発言の一部を読み上げます。
「私が98年の釜山国際映画祭で『本名宣言』を観賞したとき、明らかにヤン監督作品の場面が使われていて、混乱して劇場を出ました。その夜、釜山映画祭の審査員のイ・ヨンベとホン・ヒョンスクが、急に私を呼び出しました。そしてイ・ヨンベから『お前はヒョンスクに嫉妬してるんじゃないか?』と言われました。使用されていたあの映像はヤン監督の撮影じゃないですか、と私が反論すると、ホン監督は『あれは私がヤンヨンヒに指導して撮らせたものであり、剽窃ではない』とまで言い放ちました」
――ピョン・ヨンジュ監督はそこまで踏み込んだ証言をしたわけですか。問題は看過できないという強い思いに動かされた証左でしょうか。しかし、98年当時から旗幟鮮明に独立映画協会を批判するポジションを取ったことで、彼女自身にも変化があったのではないでしょうか。
キム 私はピョン・ヨンジュ監督のインタビューを通して、大きな疑問が解けました。映画評論家のチュ・ジンスク(韓国中央大学映画学科名誉教授)と、ナム・イニョン(韓国東西大学校映画科教授、東西大学校イム・グォンテク映画研究所所長)が中心となって書かれた韓国独立映画の歴史の本があります。その本を見ると、韓国独立映画の「父」はキム・ドンウォンであり、すべては彼から始まったように書かれています。一方で、その時期、ピョン・ヨンジュ監督はすでに海外で認められ、多くの賞を受賞されていたのですが、ほとんど触れられていないのです。
「朝鮮籍」
日本の外国人登録行政では、国籍欄に記載された「朝鮮」とは、朝鮮半島出身者という意味の出身地を表す記号とされ、朝鮮民主主義人民共和国の国籍を示すものではない。これは、在日朝鮮人が日本国籍を有するとされながら外国人登録令を適用され、その際国籍欄に、便宜的に出身地「朝鮮」が記されたことに拠る。1950年2月、GHQの指令で「韓国」に書換が可能となり、51年2月以降、出入国管理庁長官通達によって韓国のみが国籍表示となる。(和田春樹・石坂浩一編『岩波小辞典 現代韓国・朝鮮』〈2002年、岩波書店〉より)
忠武路
ソウルの一角。1955年に大型映画館「大韓劇場」が建てられて以降、映画会社や映画館が集まり、商業映画を象徴する地名となった。