パスポートナンバー、同行してくれたアルバニア人ドライバーのIDをすべて記録すると、追い立てながら、警察に通報すると恫喝。「ここには来るな。血の掟で復讐するぞ。俺はタチの友人だからな」という怒声を最後に発した。語るに落ちたというべき「黄色い家」の家主の言質を、これで取ることができた。
コソボ独立と大アルバニア主義
自立した経済基盤が無く、人権や環境の観点からも到底国家としての体を成していないコソボの議会が独立宣言をするのは、デル・ポンテの著作が出る直前の08年2月17日であった。呼応して、翌18日にはアメリカ政府が真っ先に承認した。そしてそのほぼ1カ月後の3月18日に、日本政府も追随するように承認したのである。
しかし、反対した国々も少なくなかった。セルビア正教の聖地であるコソボにおいて13世紀から花開いたビザンチン文化の結晶である、数多くの歴史的建造物(ペーチの総主教座、デチャニやグラチャニッツァの修道院など)を手放すことになるセルビアはもちろん、国内に少数民族問題を抱えるロシア、中国、スペイン、そして地政学的に飛び火を恐れるギリシャ、ルーマニア、さらには南米のブラジル、チリ、アルゼンチンなど国連加盟国の半数近くが現在も承認していない。
コソボの独立は当初から、大きな問題を孕んでいた。すでにアルバニアという国があるにもかかわらず、アルバニア人が9割以上という圧倒的多数派を占める国をさらに認めるのは危険なナショナリズムを膨張させないか。当事者性の強いヨーロッパはそのことに気づいており、アルバニアが現在引かれている国境を越えて領土を拡張しようという「大アルバニア主義」への歯止めを忘れなかった。
08年6月、独立に際し、フィンランド人の国連コソボ特別大使のアハティサーリが提唱したコソボ憲法には、セルビア人も含む少数派に対する権利を担保し「すべての市民(民族)に自由と平等を保障し、他国への領土主張をしない」と明記された。国旗と国歌についても配慮がなされた。コソボ国旗はヨーロッパの色である青を下地にコソボの地形と六つの星があしらわれている。この星はそれぞれアルバニア、セルビア、ボシュニャク、トルコ、ゴラン、ロマの六つの民族を表しており、決してアルバニア人だけの国ではなく、多民族国家としての成り立ちを象徴するものである。また、国歌はどの言語で歌われるのかという議論を回避するために、メロディーのみであえて歌詞は作られなかった。
しかし、民族融和の国として建国を許されてスタートしたコソボは10年経った今、その期待を裏切るような状態にある。
サッカー場で火を噴いた民族主義
懸念された過激な民族主義の台頭が著しく、隣国アルバニアと合併し、アルバニア人を中心とした国を作ろうという領土拡大の主張が公然と行われ、なおかつ、これが大きな支持を得ており、国是となりそうな勢いである。
最初に世界でその姿が現れたのはサッカー場だった。14年10月14日、ベオグラードのパルチザンスタジアムでは、ヨーロッパ選手権の予選でセルビア対アルバニアの試合が行われていた。前半41分、試合中にもかかわらず、上空からドローンが飛来した。吊り下げられているのはバルカン半島の一部を配した旗。アルバニアの国旗と同じく「双頭の鷲」も描かれているが、よく見ればアルバニアの版図とは国境が違う。それこそが、コソボとアルバニアを合併させ、さらにはセルビア、ギリシャやマケドニアの一部にも領土を侵食させた「大アルバニア」の地図であった。公式試合をぶち壊すかのような度し難い挑発をした容疑者として、会場に来賓として招かれていたオルシー・ラマ(アルバニア首相の弟)が逮捕された。
セルビア人にすれば自国の一部がアルバニアに吸収された地図の登場である。スタジアムは騒然となった。ドローンと旗がピッチ上に降りてきたところを、セルビアのDFミトロビッチが引き摺り下ろすと、それをきっかけにサポーターもピッチになだれ込んで乱闘が始まった。試合は続行不可能で没収試合となり、その後のCAS(スポーツ仲裁裁判所)の裁定では、挑発を受けたセルビアにペナルティが科されて「アルバニアが3対0で勝利」という裁定が下された(理由はセルビア側のサポーターがアルバニア選手に暴力を振るったというもの。この試合において、アルバニア人サポーターは入場を禁止されていた)。「大アルバニア主義」がひとつの実体として姿を現した事件となり、コソボの地位を巡り二国間に大きな過恨を残した。
民族融和は遠く
現在コソボではアルバニアとの合併を主張する政党「自己決定党」(アルバニア語でベドベンドーシュ=VETEVENDOSJE)が大きな存在感を誇り、与党の地位を獲得している。首都プリシュティナ市街の信号機にはサブリミナル効果を狙ったのか、ランプにアルバニア国旗や、「セルビア製品をボイコットしよう」という文字が浮かび上がるステッカーが貼られている。
マスコミ言論に対するテロ事件も起こっている。コソボ国営放送であるRTKは、NHKやJICA(国際協力機構)などの協力を得てアルバニア人とセルビア人、両者のスタッフを雇って民族融和の番組作りを進めており、報道姿勢もリベラルなことで知られている。しかし、16年8月に、同局の会長であるシャラ・メンター氏の私邸に爆弾が投げ込まれたのである。犯行声明は領土拡大に繋がる国境問題に言及し「シャラ・メンターは我々の立場をまったく伝えない。