「骨太の方針」は、経済政策のプロデューサーが示す経済政策の基本方針だ。作成するのは経済財政諮問会議。内閣総理大臣の諮問機関で、議長の総理と経済閣僚、財界の有力者や学者などの民間の有識者とで構成されている。
「骨太の方針」は、毎年6月に経済財政諮問会議がとりまとめて閣議決定されるもので、これを基にして、官僚が演出に相当する予算や法律の作成を行い、実行に移すことになる。「骨太の方針」が最初に示されたのは2001年、小泉純一郎内閣においてであった。これを第1弾とし、以後毎年策定されている。
第1弾では、不良債権の抜本的処理や国債発行額を30兆円以下にすることが盛り込まれた。第2弾では、基礎的財政収支(プライマリーバランス)の2010年までの均衡などの目標が打ち出され、安倍晋三内閣となった07年の第7弾では、新たな国家のイメージとして「美しい国」が示され、「戦後レジームからの脱却」という方針が打ち出されている。
「骨太の方針」というのは通称で、正式名称は「経済財政改革の基本方針」。小泉内閣で最初の「骨太の方針」が出されたことから、名付け親は小泉総理と思われがちだが、そうではない。小泉総理の前任者、森喜朗総理が座長を務めていた01年2月の経済財政諮問会議の席で、民間の有識者から「予算大綱」という言葉で、経済政策の基本方針が示されたのだ。
これに慌てたのが政府側だった。「大綱」は、自民党の「税制大綱」といった具合に政府・与党が政策の基本を示す言葉で、他には使って欲しくなかったのだ。
経済財政諮問会議が作られる以前には、経済・財政政策のプロデューサーは存在せず、与党(自民党)と財務省を中心とした官僚という、脚本家と演出家が勝手にドラマを作っていた。ここに経済財政諮問会議がプロデューサーとして名乗りを上げる。政府側は当初、経済財政諮問会議で決められる基本方針は名目的なもので、予算編成などの実権を譲るつもりはなかったが、議論の過程で経済財政諮問会議の発言力が増し始めた。その上、「大綱」という言葉まで使われてしまうと、実権が奪われる恐れがあると政府側は感じたのだ。
「予算大綱」という言葉を聞いた座長の森総理が「新しいネーミングにした方が良いんじゃないかな」と言い出し、麻生太郎経済産業相(当時)なども、「そうです。骨太なんて」と続け、いつの間にか「骨太の方針」という通称が生まれたのだった。経済財政諮問会議というプロデューサーの役割を「骨抜き」にするために生み出されたのが、「骨太の方針」だったのだ。
ところが、森総理の後を引き継いだ小泉総理は、与党や官僚から政策運営の実権を奪うために経済財政諮問会議を大いに活用、「骨太の方針」は、財務省の予算編成をも左右するほどの力を持つようになったのである。
しかし、小泉総理の退任後、実権を取り戻そうという与党や官僚の動きも強まっている。「骨太の方針」を「骨抜きの方針」にしようとしているのだ。
経済政策の方針を決めるのは、経済財政諮問会議というプロデューサーなのか、与党という脚本家と官僚という演出家なのか…。「骨太の方針」をめぐる争いが、水面下で繰り広げられているのである。