親類の大学生が不満げに言う。地方の大学に通う彼は、アルバイトをしてはいるものの、それだけでは学費も生活費も足りず、親からの仕送りに頼っている。ところが、口うるさい両親はその使い道を厳しく管理し、言いつけ通りに使ったか、細かな報告を求めてくるというのだ。
同じような不満を、地方自治体も抱いている。日本の地方財政は、「親」である政府が、「子ども」である地方自治体を「仕送り」という財政援助でコントロールしているが、これが様々な弊害を引き起こしている。これを解消するために打ち出されたのが、「三位一体の改革」であった。
政府は地方自治体に対して、自分で集めた税金(国税)から、地方交付税や国庫支出金という補助金などの「仕送り」をしている。その金額は大きく、地方自治体の多くが、国から何らかのお金をもらわなければ、十分な行政サービスを提供できないのが実情だ。
しかし、これは同時に政府が地方自治体をコントロールし、その自立性を奪う要因となっている。子どもが親にお小遣いをねだるように、国庫支出金という補助金を少しでももらおうとする結果、「それなら言うことを聞きなさい」と、政府が地方自治体に口出しをすることになるのだ。また、地方交付税という仕送りがあるので、少々無駄遣いをしても大丈夫だと甘えが生じる恐れもある。親が仕送りによって子どもを支配し、その自立を阻害しているのだ。
「三位一体の改革」は、これを解消するために、小泉純一郎元首相のリーダーシップの下で行われた行財政改革だ。基本的な考え方は、「地方にできることは地方に」というもので、郵政民営化に代表される「民間にできることは民間に」という小泉元総理の構造改革路線の一環であり、地方自治体の役割を拡大すると共に、政府の役割を縮小させる「小さな政府」を目指すものであった。
三位一体の改革の名称は、「地方交付税の見直し」「国庫支出金の削減」「地方への税源移譲」の三つを同時並行で実施しようとしたことから付けられた。
地方交付税を見直し、国庫支出金を減らすことで、国の地方自治体への関与を減らす。もちろん、これでは地方自治体の財政は破綻してしまう。そこで、国税の一部を地方税に振り替える税源移譲を行い、地方自治体に自由に使ってもらおうとしたのだ。
地方分権を進める上でも三位一体の改革は重要だが、実行に当たっては様々な抵抗があった。国庫支出金が減らされることは、予算を配分する中央の官僚の権限が縮小することを意味する。また、予算の配分に介入してきた一部の政治家も、自らの権益が減ることから、改革に難色を示したのだった。
2005年に一応の決着を見た三位一体の改革では、国庫支出金を4兆7000億円削減する一方で、3兆円の税源が国税から地方税に振り替えられた。これに加えて、地方交付税の交付方法などについても見直しが行われた。しかし、改革は道半ば、地方自治体の自立が進んだとはとても言えない状況だ。
主体性を持って行政を進めたい地方自治体と、そうはさせたくない中央の官僚と政治家たち。「自由にやらせてくれ!」という子どもの訴えは、なかなか聞き入れられないのが現実なのである。