貿易を国家間の将棋と考えると、「待った!」に相当するのが緊急輸入制限措置(セーフガード)だ。貿易とは、自国で作った様々な商品で、相手を攻める将棋のようなもの。勝利するのは、安くて良質な商品を作った国であり、輸入品が増えれば、同じ商品を作っている国内産業は追いつめられる。
こうした事態に陥った場合、国内産業を保護する観点から、一定期間輸入制限をすることが認められている。これがセーフガードだ。将棋の「待った!」同様、本来はルール違反だが、貿易における審判役のWTO(世界貿易機関)が認めている合法的な手段だ。
セーフガードは、輸入品の攻勢で窮地に陥った国内産業が、政府に「助けてくれ!」と、発動を要請する形で始まる。政府がこれを認めると、関税を引き上げて輸入品の価格競争力を低下させたり、輸入量を直接制限する措置などがとられる。国内産業はこの間に、リストラや製品開発など戦略を練り直し、競争力強化を図る。セーフガードは、追いつめられた国内産業に「待った!」を認めることで、体勢を立て直す時間的な猶予を与えるものなのである。
もちろん、セーフガードは負けている国内業者を保護するという不公平な措置、安易な適用は許されない。そこで、WTOは適用に当たってのルールを定めていて、乱用をチェックしている。最長の適用期間は8年で、もし違反があれば、相手国が「報復措置」をとることも認めている。
それにしても、本来はルール違反のセーフガードが、WTOという審判役によって認められているのはなぜか。実はセーフガードという「待った!」が公認されているのは、貿易という将棋を続けるために必要なものであるからなのだ。
体の小さな弟が兄と対等に勝負できるのは、将棋というゲームの上でのこと。もし、いらだった兄が、将棋盤をひっくり返して殴りかかってきたら、弟に勝ち目はない。
同様に国力も軍事力も異なる国々が競い合えるのは、貿易というゲームの上でのこと。もし、ゲームを無視して力と力の勝負になってしまえば、世界経済は大混乱に陥ってしまう。そこで、「待った!」を認めることで、貿易という将棋を何とか続けさせようというわけなのだ。
現在、最も多くセーフガードの発動に動いているのは、日本や中国の輸出攻勢にさらされているアメリカだ。膨大な貿易赤字が、その劣勢を示しているが、アメリカにしてみれば、商品の作り方を日本や中国に教えてやったのは、自分だという自負がある。将棋を教えてやった弟に負け続けている兄が、今のアメリカなのだ。「待った!」の連発は好ましいことではないが、そのいらだちも想像に難くない。
「待った!」をされて不機嫌になる弟の気持ちも分かる。しかし、メンツを失った兄の気持ちも無視できない。セーフガードは、あくまでルール違反の特例措置。将棋の「待った!」同様に乱用は許されない。しかし、その適度な発動は、貿易という将棋を続けるためには、必要なものでもあるのだ。