「責任逃れだ!」と言う友人だが、これが公然と認められているのが「株主責任」だ。
株式会社をバスと考えよう。所有しているのは「株主」で、乗客としてバスに乗っている。運転しているのは、株主から委託を受けた「経営陣」(取締役)で、「従業員」というバスガイドを乗せて、株主のためにバスという会社を運転している。「所有」と「経営」、つまりバスの所有者と運転する経営者が分離されているのが、株式会社の特徴だ。
今、会社の経営が破たんしたとしよう。会社には株主から集めた資本金など10億円の資産があったが、金融機関などの債権者から15億円を借金していたため、5億円が返済不能となった。バスの運転手が運転を誤り債権者の車に衝突、株券は紙くずとなってバスは廃車、所有者だった株主は総額10億円の出資金を失う。その上で、相手の車に対する補償金の未払いが5億円も残されてしまったというわけだ。
会社を運営していた経営陣は、「申し訳ありません」と頭を下げるものの、個人の財布から借金の穴埋めをすることはしない。残るのは会社の所有者である株主だが、彼らには残された5億円の借金を支払う義務はない。出資金を全額失った段階で、それ以上の責任を問われることはない。
これが「株主有限責任の原則」だ。融資をしていた銀行や取引先から「金返せ!」と迫られても、株主は知らぬ顔をすることが認められているのだ。この結果、お金を貸していた債権者が泣き寝入りせざるを得なくなる。
株主の責任が限定されているのは、企業の資金調達を容易にするためだ。株式を購入することで企業に出資する場合、経営に失敗した際の損失をすべて請求されることになれば、株式を購入するのはためらわれる。10万円分の株式を購入したらその企業が経営破たん、連帯責任を問われて100万円の借金返済を求められる…、といった恐れがあるなら、誰も株式など購入しないだろう。そこで、株主の責任を、出資したお金に限定するという株主有限責任の原則によって、出資者を集めることを容易にしている。
株主有限責任の原則は、株主に対する「優遇措置」とも考えられるが、株主、とりわけ日本の株主にはその認識が希薄だ。企業が破たんして、株式が紙くずになった場合、「老後の年金をつぎ込んだ。どうしてくれるんだ!」と、被害者のような態度をとる株主も少なくないのが実情だ。
こうした怒りは、経営者に対して向けられるものなら理解はできる。しかし、企業が破たんした場合、損失を被っている債権者がいる。株主の有限責任によって、出資金以上の支払いは免れているが、本来なら会社の所有者として、「損をさせて申し訳ない」と債権者に謝るべきなのだ。
事故を起こしたのは株主が所有するバス。運転が下手なドライバー(経営者)を株主総会で選出してハンドルを握らせ、経営破たんという事故を引き起こしたのだから、事故は株主の責任に他ならない。株主責任の本質を理解せず、加害者なのに被害者のような態度をとっている。これが日本の株主の実態なのである。