沈没の危機が迫り、救命ボートに殺到する乗客に対して、乗組員は1等船室の乗客を優先、3等船室の乗客は後回しにされてしまう。3等船室の乗客は怒りを爆発させるが、結局は救命ボートには乗れず、冷たい海に放り出されてしまう。
このエピソードは「金持ち優遇」の最たるものだが、「ペイオフ」はこれとは正反対に、お金持ちに厳しい制度だ。
「ペイオフ」は、銀行などの金融機関が破綻した場合の処理方法の一つだ。ペイオフは、払って(pay)終える(off)という意味で、預金を可能な限り払い戻した上で、金融機関を解体し、清算すること。金融機関を難破した客船、預金者をその乗客とすると、ペイオフは、預金者という乗客を可能な限り救出した上で、金融機関という客船は沈没させてしまうということなのだ。
ここで重要となるのは、預金者救済の範囲だ。ペイオフの場合、破綻した金融機関に十分なお金がなくても、預金保険機構が資金を援助し、預金者1人に対して、元本1000万円とその利息までは保証してくれる。しかし、これを超える預金については保証されず、戻ってこない可能性が出てくるのだ。
これは、乗客1人に対して、1000万円まで乗せる救命ボートを提供することに他ならない。預金が1000万円未満であれば、損失を被ることはなく、慌てる必要はない。金融機関という客船が破綻しても、救命ボートに乗って、間違いなく脱出できるのだ。ところが、1000万円以上の大口預金者の場合、救命ボートに乗せきれないお金は、客船とともに沈んでしまう恐れがあるのだ。このように、ペイオフでは、預金額1000万円以下という3等船室の乗客がすべて救われるのに対して、5000万円、1億円といった1等船室の大口預金者の方が逃げ切れないという、タイタニック号とは逆のことが起こるのである。
ペイオフの制度が本格的に稼働し始めたのは2002年4月からのこと。それ以前は、金融機関が破綻しても、政府が様々な手段を使って預金を全額保護してきた。沈没しかけている客船に政府が救助船を横づけし、乗客を一人残らず救出していたのだ。
その一例が、1997年に破綻した北海道拓殖銀行のケースだ。政府は経営破綻した北海道拓殖銀行の事業を、預金者を含めて北洋銀行などに譲渡、小口預金者も大口預金者もすべて救済したのだった。
しかし、この方法は巨額の公的資金、つまり税金の投入が不可欠となる。また、いざとなったら政府が助けてくれるという「甘え」が金融機関の経営者、そして預金者にも生まれるという批判も挙がった。こうしたことから、経営者はもちろん、預金者にも一定の負担を負わせるべきだとの考え方から、ペイオフが導入されたのだ。客船が沈没の危機に瀕しているのは、それを運航していた経営者という船長の責任であり、また、その船に自らの意思で乗った乗客にも一定の責任があるというわけなのである。
しかし、ペイオフはまだ一度も実施されたことはない。ペイオフの場合、危険を感じた大口預金者が我れ先にと逃げ出すことで、結果的に金融機関の経営を破綻させる恐れがある。そこで、従来通り、すべての預金者を救済するべきだという声も根強いのだ。
預金者という乗客に、1000万円まで乗ることのできる救命ボートを用意するというペイオフで本当によいのか? 金融機関という客船が沈没の危機に瀕したときの対応を巡る議論は、まだ続いているのである。