こうした症状は、急激な血圧の低下が主な原因だが、経済にも同じようなことが発生する場合がある。「信用収縮」だ。経済の血液である貨幣の供給が急減、経済活動がマヒする危険にさらされてしまうのだ。
貨幣の供給を支えているのは、貸し借りを通じて、お金を必要なところに運ぶ「金融」だ。金融はまず、中央銀行が、銀行などの金融機関に貨幣を供給することから始まる。銀行は受け取った貨幣を、支払いの手段のみならず、企業の運転資金や設備投資の資金、あるいは個人の住宅ローンなどの融資に振り向ける。こうして始まった金融は、企業同士や個人間での貸し借り、さらには株式や債券の売買など様々な手段を通して、経済のすみずみに貨幣を供給していく。金融こそが、貨幣という経済の血液を循環させる原動力となっているのだ。
金融が円滑に機能するためには「信用」が重要な要素となる。融資をする場合、相手が間違いなく返済してくれるという「信用」が前提であり、株式や債券を通じた金融では、それが紙くずにならないという「信用」が必要不可欠なのだ。
もちろん、個別企業について、「あの会社は経営が苦しいから、貸さない方がいい」という具合に、「信用不安」が発生するのは日常茶飯事で、特に問題はない。しかし、国家レベルの大問題が発生したり、人々の間に連鎖的に不安感が生まれたりした場合、経済全体の信用が一気に損なわれてしまうことがある。これが「信用収縮」だ。
信用収縮が発生すると、金融の機能が急激に低下し、貨幣供給に支障が発生、「低血圧」によって経済がマヒする恐れが出てくるのである。
信用収縮は様々な原因で発生する。最も頻度が高いのが株式市場の暴落だ。株価は企業の信用そのものであり、その下落は経済全体の「信用」を低下させてしまう。また、大企業が経営破たんした場合、「系列のあの企業も危ないかもしれない…」と不安心理が広がって、信用収縮を引き起こす。もちろん、2001年のアメリカの同時多発テロのように、国家を揺るがせる大事件が起こった場合にも、信用収縮が発生する。
信用収縮が怖いのは、不安が不安を呼んで、連鎖的に「信用」が失われてしまう点だ。
大きな企業が倒産した場合、連鎖倒産の不安などから、銀行は他の企業への融資に慎重になって「信用」が失われる。一方、融資が焦げ付いた銀行そのものにも経営不安が浮上、そのあおりで他の金融機関にも不安が広がり、ここでも「信用」が失われる。
さらに、株式相場が下落すると、株式市場で多額の資金を運用しているヘッジファンドの「信用」が低下し、資金調達が難しくなる。資金不足に陥ったヘッジファンドは、手持ちの株式を売却して資金を調達しようとすることから、さらなる株価下落を引き起こす可能性も出てくるのだ。
この他、株式市場が下落することで、企業の業績悪化や個人消費の落ち込みを招き、景気が悪化するのではという不安が広がって、「信用」が失われてしまうこともある。
このような「負の連鎖」によって、信用収縮は急激に進み、金融機能が損なわれて、経済は極度の低血圧状態に陥りかねないのである。
信用収縮を止めるには、人々の不安を取り除き、「信用」を回復させて、金融機能を回復させる必要がある。
株式市場の暴落など、一時的なショックが原因の場合には、比較的短い時間で解消される場合もあるが、問題が構造的な場合には、信用収縮が長期に及ぶ場合もある。
バブル崩壊後の日本経済がその典型だ。金融の主役である銀行が不良債権問題を抱えて機能不全を起こし、激しい信用収縮に直面した。その解消には、実に10年以上を要し、その間、日本経済は深刻な「低血圧」によって、動きの鈍い状態が続いたのであった。
信用収縮の対策としては、金融の大元である中央銀行の緊急資金供給や政策金利がある。しかし、これらはあくまで「輸血」に過ぎず、信用収縮をもたらしている「出血」を止めない限り、事態は解決しない。
「信用収縮」は、金融機能の低下によって、経済の血液である貨幣の循環を妨げる大きな問題だ。「少しめまいがしただけ…」では済まされず、時として国の経済の生死を左右する、深刻な事態を引き起こしかねないのである。