入浴する人は絶えず入れ替わるが、スリッパに名前が書いてあるわけではなく、入浴者は手近なスリッパを利用することから、出入り口に近いスリッパが増えたり減ったりするだけ。出入りに必要な最低限のスリッパだけ脱衣所に残し、残りを旅館の玄関などに移動させても不便は生じず、スリッパを効率的に使うことができるだろう。
これと同じ原理が使われているのが「信用創造機能」(貨幣創造機能)だ。信用とは貨幣のことで、預金を受け入れた銀行が、預金を融資に回すことによって新たに貨幣を生み出し、市中での流通量を増やすことを可能にする機能だ。
預金者を「入浴者」、貨幣を「スリッパ」、銀行を「風呂場」と考えよう。銀行という風呂場には、預金者という入浴者がたくさんやってきた結果、貨幣というスリッパがたくさん置かれている状況となる。そこで、銀行は預金の一部を、別の個人や企業に融資する。脱ぎ捨てられたスリッパの一部を、別の場所に移動させるのだ。
もちろん、預金はいつ引き出されるか分からないため、融資に回してしまうと、引き出しに応じられない事態も発生しかねない。しかし、銀行全体で見ると、預金の引き出しがある一方で、新たな預け入れもあるため、預金総額にはそれほど大きな変化がないのが実態だ。風呂場のスリッパの中で、実際に使われているのは一部だけという状態が、銀行にも生じているのだ。
そこで銀行は、預金の変動に対応できる最低限のお金だけを残し、残りを融資に回す。風呂場のスリッパの一部を持ち出して、融資という形で玄関に来たお客に使わせているのだ。
いま、20億円の預金を持つA銀行が、その半分の10億円をある企業に融資したとする。融資を受けた企業がそのお金で機械を購入した場合、機械を販売した企業が取引するB銀行に代金が振り込まれ、B銀行の預金額が10億円増えることになる。
さらにB銀行が、10億円増えた預金のうちの5億円をある企業の工場用地の取得資金として融資したとする。今度は工場用地を売った人の取引銀行Cの預金額が5億円増加、これにともなってC銀行も新たに2億5000万円の融資を…、という動きが連鎖的に発生する。
この結果、銀行全体の預金額は10億円+5億円+2億5000万円…と増加することになる。これが、融資によって市中の貨幣が増える信用創造機能なのだ。
銀行の融資業務を可能にし、これによって貨幣を増殖させる信用創造機能だが、その根拠はひ弱なものだ。スリッパの実数が変わらないのと同様に、貨幣が増えると言ってもあくまで銀行の帳簿上でのことだ。さらに、スリッパを玄関に移動できるのは、入浴者が一度に風呂場を出ないという前提に立っている。銀行の経営不安が広がれば、預金を引き出せないことを恐れた人々が銀行の窓口に殺到する。入浴中の人が「帰りに履くスリッパがないかもしれない…」と不安に駆られて、我先にと風呂から出ようするのだ。
しかし、預金の大半は融資に回されていることから、これに応じることは不可能だ。銀行は融資に慎重になり、場合によっては融資の回収に走る。スリッパの貸し出しを控えるという「貸し渋り」、さらには廊下を歩いている人のスリッパを強引に奪う「貸し剥がし」まで起こってしまう。
これによって、信用創造機能は「逆回転」を始め、貨幣の流通量が急激に減少する。これが「信用収縮」であり、やがて「金融危機」へと発展してしまうのだ。
信用創造機能は経済に貨幣を供給する最も重要なものであり、銀行の融資業務の根幹となる機能だ。しかし、実際には「預金者が一度にお金を引き出すことはないだろう」という不安定な前提に立っている。これを維持するためには、不安を引き起こさない堅実な銀行経営が必要不可欠なのである。