「テーパリング」は、量的金融緩和の縮小を意味する言葉。中央銀行は景気の悪化やデフレが起こると政策金利を引き下げ、「ゼロ金利」になっても効果が出ないと、目標を貨幣供給量に変えて大量供給を図る量的金融緩和へと移行する。病気になった経済に対して、薬や栄養である貨幣の価格を下げ、無料にしても治らない場合には、目標を投薬量に切り替えて、大量投与を図る。そして、経済に明るさが見え始めたら、貨幣という薬の量を徐々に減らすテーパリングが行われることになるわけだ。
テーパリングを実施したのが、アメリカの中央銀行に相当する連邦準備制度理事会(FRB)だ。08年9月のリーマン・ショックで、瀕死の状態に陥った経済を立て直すため、FRBは大規模な量的金融緩和を実施した。その効果が表れ、経済が回復軌道に乗ったと判断した14年1月、FRBはテーパリングを開始し、10月には量的金融緩和の終了を宣言した。経済が健康を取り戻したので、投薬量を減らしていったのだ。
一方、日本の病状は改善していない。日銀は量的・質的金融緩和によって貨幣を大量投入してきた上に、薬を飲まないと罰金を科す「マイナス金利政策」まで繰り出した。しかし、その効果は限定的だった上に、新たな問題が浮上してきた。長期に及ぶ量的金融緩和策の結果、薬の不足が心配され始めた。量的金融緩和は、国債を購入してその代金を支払うという方法で行われている。ところが、大量購入を続けてきたために国債が減少、貨幣の大量発行が物理的に困難になるというのだ。
「薬の在庫切れ」が懸念される中で打ち出されたのが、「長短金利操作付き量的・質的金融緩和」だった。新しい金融緩和策は、主な目標を貨幣供給量から長期と短期の金利操作へ移すというもの。貨幣供給量が目標から外れたことで、量的金融緩和が限界に達していて、テーパリングをせざるを得なくなったのでは? という疑念につながったのだ。
しかし、現段階でテーパリングに踏み切るということは、金融緩和策が手詰まりであると認めることになる。黒田総裁は量的・質的金融緩和も続行するので、テーパリングではないと強調した。薬の在庫は豊富で、これからも大量投入を続けると宣言することで、疑念の払拭に努めたのだった。
デフレという病が治らないのは、量的金融緩和という治療そのものが間違っているとの指摘もある。日銀が投入した貨幣という薬で溢れている日本経済を見るとき、あえてテーパリングを実施して、治療方針を抜本的に見直す必要があるのかもしれない。