高山 もちろん、読者の方にわからないと言われたら、私の不徳の致すところですとも思うので、わかりやすいように書かないといけないなとは思うんですよ。でも、作品の全部がわからなくても、面白い作品ってたくさんあって。「わかる/わからない」と「面白い/面白くない」は全然別なんで、むしろ、つまんないものの理解が深まっても面白くならないだろうとも思うし。
ただ、読んでいてわからないことが苦痛にならないように、たとえば、絵画の騙し絵みたいに色んな難しいものが絵のなかに埋まっていても、〝一枚の絵として風景がきれいだからずっと見ていられる〟みたいな作品を目指したい。難しい知識を知っていたらもっと面白く見られるんだけど、背景や歴史を知らなくても単純にこの「モナ・リザ」は美しいなと感じられるような作品にしたいなとは思います。これはデビュー当時から考えて努力はしています。
鴻池 芥川賞を受賞した『首里の馬』は多くの人に読まれた作品だと思うんですけど、読者の反応はどうでした?
高山 すごく丁寧に読んでくださっているなと思いましたね。だって『首里の馬』って変な話というか、けったいな話だと思うんですよ。主人公とかけっこうやばい奴だし。それを真面目に読んでくださっていて、なんか申し訳ないというか……。
鴻池 そうか、期待以上に真面目に読まれているという感じなんですね。
高山 私は笑わすぞ! っていかにも面白いことを言う人間が出てくる小説や映画より、すごい真顔で意味不明なことを言うものが好きだったりすることもあって。そういう作品をいつも目指しているのかもしれない。『首里の馬』もわけのわからなさも含めて面白がって、笑ってもらえたらいいなと思っていたんですけど、ご年配の方とかが、「本当にわからなくてすいません……」みたいに言ってきてくださるので恐縮しちゃいました(笑)。「いや、ほんとにわからなくていいんですよ」ってこっちも必死に言うみたいな。
鴻池 この小説のテーマは何ですか? わからないから説明してください、教えてくださいという読者もいますよね? 読者というより取材とかが多いかな。
高山 それが一番困るかも。どういう話なのかっていうことを伝えるために200枚必要だった人間に、「どんなテーマですか」って聞いてどうする!?(笑)。簡単に短く説明とかできないから小説書いてるんですよ。というか、私は頭がよくなくて、知識を信用しているバカなんだと自分のことを思っているんです。
つまり、うまく説明できないテーマを自分は200枚ぐらい小説で書いちゃうけど、「5行ぐらいの言葉で説明できちゃう賢い人ってこの世にいるから大丈夫」みたいな気持ちがあるんです。賢い人は、それを明快に説明できるんですよ。
鴻池 でも、それは狭い世界でしか流通しないジャーゴンでしかないと思うんです。勉強すれば誰でもできると思いますよ。
高山 なるほど!
鴻池 僕ら小説家はそういう賢(さか)しらな言葉やジャーゴンに異を唱えるじゃないけど、それとは違った言葉を使って小説を書いているんですよ。高山さんは頭がよくないとおっしゃったけど、僕はそう思わないですし、小説家は頭でっかちなやつらに言葉を合わせる必要はないんですよ。
〝自分〟より〝世界〟が書きたい
鴻池 高山さんの作品は、何か人間じゃない視点から書いている印象があるんですよね。人間ではない、かといって無機質でもない、有機的な変な生き物……って言ったら失礼だな(笑)。
高山 ああ、でも人間が当たり前にこなしている動作とか、人間同士で交わされる暗黙のルールを知らない宇宙人みたいな視点から書くのは好きですね。
鴻池 そう! 宇宙人が書いた作品のように読める。
高山 人間って習慣的な行動でも、奇妙な動きをすることがありますよね。そういう約束事みたいなものを解体したいんですよね。単純に「食べる」って書いたら3文字だけど、食べる動作を初めて見る生き物の視点で書きたいんです。「習慣」とか「当たり前な振る舞い」を解体して書いてみたい欲望がありますね。
鴻池 確かに高山さんの作品は、人間の世界を突き放すような感じがありますね。ファンタジーみたいな世界観ではなくリアリズムで書かれた世界なんだけど、僕らが信頼できる〝リアリティ〟とは別なルールで動いている小説なんですよ。
高山 うれしいです。自分の書いた作品のこととかを考える余裕もなく必死に書いているので、そういうふうに自分の小説について解説してもらうとありがたいです。
鴻池 前にイベントでご一緒したときに、高山さんがおっしゃっていたことで印象に残っていることがあるんです。うろ覚えで申し訳ないんですけど、「人間の内面を掘り下げる書き方はできない、内面がよくわからない」みたいなことをおっしゃっていたんです。
高山 そんなこと言ったんだ(笑)。私はいわゆる〝ライターズ・ブロック〟がほとんどなくて、「書けない!」みたいな状態にならないんですよ。一見、いいことのようにも聞こえるかもしれないけど、なにがなんでも伝えたいソウルみたいなものが、あまりないからなんじゃないかとも思う(笑)。たぶん、私は自分より世界のほうに興味があるんですよ。純文学は私小説の伝統もあるので〝私〟を書くことが多いジャンルですよね。だから、私は純文学を書くことに実は向いてないんじゃないかなとも思う。
でも、エンタメ系ではない文芸誌は、掲載される作品の自由度が高いというか、読んでくださる方も懐が深いなと思うんですよ。私みたいな書き方の作品も載せてくれるし、鴻池さんの作品も載せてくれる。たとえば、殺人事件が起きても、その犯人がわからないままの小説は文芸誌にしか載らないですよ(笑)。
鴻池 そうですね。