キリスト教ってあぶない宗教!?
こんにちは。今回も内村鑑三のことばをてがかりにして、〝平等〟を考えましょう。
まず前回を振り返りますね。先生をしていた内村さんが、学校の行事で教育勅語に向かって深いお辞儀をしなかったことが、大きな騒動に発展しました。1891(明治24)年の「一高不敬事件」です。この出来事は、内村さんの人生だけではなく、この国の重大な岐路になりました。文字が書かれた、ただの紙きれにお辞儀しなかっただけですよ! それが日本全体を揺るがす大事件になるなんて、フシギな気がしますよね。ですが、当時は、海外から新しいモノや技術や考え方が押しよせてくる中で国を作りはじめたところでした。強い国として外国から認められないと、国を乗っ取られてしまうんじゃないかという不安もありました。はやくヨーロッパの大国やアメリカと対等にならなくちゃというプレッシャーで、ピリピリしていたのですね。そのため、小さな火だねでも炎上する可能性があったのです。
この事件が、国のありかたにどんな影響を与えたのでしょうか。
事件の前の年に施行された「大日本帝国憲法」は、国民の信教の自由を保障していました。どんな宗教を信じるのも個人の自由ですよ、ということを一度は国として認めていたのです。そこにはもちろん、キリスト教を信じる自由も含まれていました。しかし事件をさかいに、世の中はつぎのような空気に包まれました。まず、キリスト教は教育勅語のメッセージに刃向かうあぶない宗教だ、という見方が広がりました。そして、天皇中心の国作りを進めるためには、宗教を信じる自由を犠牲にしても仕方ない、と多くの人が感じるようになっていったのです。※1
新しい約束とキリスト教
明治政府の最初の文部大臣として学校の仕組みを整えたのが、森有礼(もり ありのり)という人でした。森さんは、キリスト教を日本の教育に利用しようと考えていました。そこには、深い動機があったのです。
みなさんは「富国強兵」という、明治時代に唱えられた合言葉を知っていますか。〈経済を豊かにして、外国に対抗できる強い国を目指しましょう〉という意味です。そのために重要な役割を果たすのが、大規模な工場と軍隊でした。
そのどちらにも共通していることがあります。工場も軍隊も、全国各地から、様々なメンバーが集まりますよね。メンバーがどこで生まれたかや、どんな家で育ったかにかかわらず、その場で協力し合い、競い合えないと、うまくいきません。そんなこと当たり前にできるとわたしたちは感じますよね。でも、共同体のオキテ(一つの地域に暮らしてきた人々や、一つの職業に従事してきた人々が、自分たちが安心して生きるために取り決めた昔からのルール)に従って生きてきた人々にとっては、簡単ではなかったのです。これこそが、学校が整備された大きな理由でした。子どものうちに教育して、将来役に立ってもらおうというわけですね。
学校では、〈自分は〝自由〟だ〉という感覚を子どもたちに教えようとしました。
これは第一に、これからの時代は古いオキテに縛られず、〝自由〟に生きていいんだ、という自覚のことですね。ですが、それだけでは工場や軍隊はうまく機能しません。他のメンバーと生活したり、作業したりするには、最低限の約束が必要です。他人を騙したり、傷つけたり、不公平に扱ってはいけないよね、というシンプルな約束です。それがないと、競争も、ただの騙し合いになってしまいかねないからです。
その約束の鍵をにぎるのが、〈自分は〝自由〟だ〉という感覚なのです。
わたしが〈自分は〝自由〟だ〉と感じるのと同じように、他人も〈自分は〝自由〟だ〉と感じるにちがいない、と想像します。すると、わたしの〝自由〟を他人に大切にしてもらうには、わたしも他人の〝自由〟を大切にしなければいけないんだな、と気付きますよね。
ここまでくると、〝自由〟が、この世界を〝平等〟にする、ポジティブな力に、だんだんレベルアップすることがわかるでしょう。人間は、一人一人が〝自由〟な、かけがえのない個人だ。だからこそ、すべての人の〝自由〟が尊重されなければならない。つまり、誰もが〝平等〟に扱われなければならないんだ。そういう考えが、導き出されるのです。この考えさえしっかりしていれば、他人との協力も競争も、気持よく進められそうですよね。
さあそこでキリスト教の出番というわけです。ざっくりした説明ですが、キリスト教の神は、現実世界をはるかに超えた存在だとされています。だから、神はどこにいるんですかと聞かれたら、けっきょくは、それぞれの人の心の中ですよ、と答えることになります。『聖書』を読み、心の中で神と対話し、より良く生きるための指針になる良心や道徳心をはぐくんでいく。これが、キリスト教を信じる道すじです。ですので、個人の内面が大事にされます。心は神とつながる場所なのだから、どんな人の内面も神聖なんだ、心の〝自由〟を守らなければならないんだ、と考えるのです。※2
なぜキリスト教の考え方を教育に役立てようと思われたのか、わかっていただけましたか? これから新しい社会を作るために、個人の心や内面にもっと注目しなければならない。それには、キリスト教を理解するのがベストだと考える人が、明治時代のはじめ頃の日本にはたくさんいたのです。
深く怒るとは?
ですが、国作りを進めていたひと握りの人々にとって、キリスト教は脅威でもありました。個人を大事にし、自他の〝自由〟を尊重する人は、簡単に言いなりになりませんよね。そんな人たちが、自分たちに向かって反抗したらどうしようか、と恐れていたのです。だから、「一高不敬事件」の内村さんの態度を重大な反抗とみなして、一斉に攻撃しました。個人の〝自由〟を土台に発展する理想を捨て、命令に従う人間を増やしていく。事件をきっかけに、日本がそういう方向に進みはじめたのです。
政治学者の丸山眞男という人がこんなことを書いています。厳しい雰囲気を感じてほしいので、そのまま写してみますね。
「第一回帝国議会の召集を目前に控えて教育勅語が発布されたことは、日本国家が倫理的実体として価値内容の独占的決定者たることの公然たる宣言であったといっていい」※3
※1
大日本帝国憲法には、天皇が国の元首として、自分の判断で様々なことを決定できると定められていました。権力が天皇に集中するように、国が作られていたのです。現在の日本の憲法と、考え方が大きく異なるところです。
※2
個人の内面を重視するという特徴は、キリスト教の中の、プロテスタントという宗派にとくに顕著です。
※3
丸山眞男「超国家主義の論理と心理」(『丸山眞男セレクション』平凡社ライブラリー)63頁
※4
「キリスト伝研究(ガリラヤの道)」(『内村鑑三全集』27巻、岩波書店)390頁
※5
「十字架の道」(『内村鑑三全集』29巻)125ー126頁
※6
同前 162頁
※7
「キリスト伝研究(ガリラヤの道)」(『内村鑑三全集』27巻)284頁
※8
『キリスト教問答』講談社学術文庫 230頁
※9
「エレミヤ伝研究」(『内村鑑三全集』29巻)365頁
原文では、こう書かれています。「我は浜の真砂の一粒ではない。我は真の個人であり我に代りて我が役目を果すべき者は他にない」