胡蝶之夢
(こちょうのゆめ)
夢か現実かはっきりとはわからないようす。その区別を超越することのたとえ。また、人生のはかなさをたとえていう。中国の荘周(そうしゅう)が眠っているとき胡蝶の夢を見て、目覚めてから、自分が夢の中で胡蝶になっていたのか、胡蝶がいま夢を見て自分となっているのかと疑ったという『荘子(そうし)―斉物論』の中に出てくる故事から。
〔例〕「人生なんて胡蝶之夢のようなものかもしれない」とか、「ほんとうに1等9000万円の宝くじが当たったのですが、まだ信じられません。胡蝶之夢としか思えません」などと使ったりする。
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蟻が塔を組む
(ありがとうをくむ)
(塔は蟻塚(ありづか)をさす) 蟻のような無力な虫でも、協力しあえば塔を組むこともできる。わずかずつでも怠りなく努力すれば、大事業といえども完成させることができることをいう。また、できそうにもない大仕事を計画することにもたとえる。
〔出〕俳諧(はいかい)・毛吹草(けふきぐさ)/浄瑠璃(じょうるり)・双生隅田川(ふたごすみだがわ)
〔会〕「ぼくたちの手だけで、このプロジェクトの完成はむずかしいんじゃないですか」「要はチームワークだ」「それにしても力不足では」「蟻(あり)が塔を組むってこともあるさ」
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螻蛄になる
(おけらになる)
(賭(か)け事に負けたり使い果たしたりして)まったく金がなくなる。無一文になる。すかんぴんになる。「今日のレースは全然だめだった。おかげですっかり螻蛄になってしまった」
〔語源〕(1)昆虫の「螻蛄」の前足を上げ広げている格好が、人間がお手上げしている姿に似ていることからとも、(2)無一文になり、身ぐるみはがされた者を裸虫といい、それを「螻蛄」になぞらえていった言葉ともいう。また、(3)「おけら」は、植物の「おけら(朮)」で、これは根の皮をはいで薬用に供せられるもので、そこから、身の皮をはがれる意にかけてしゃれたものともいう。
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