東海道に伝馬(てんま)制が敷かれたのは1601年。東海道五十三次の起こりである。時間に追われる現代人、しばし空想の中だけでものんびり弥次・喜多道中を楽しみたい。(「イミダス2002年版」掲載)
坂下
坂下は、東の箱根峠とともに東海道の難所として知られた鈴鹿峠を控えて本陣・脇本陣の規模も大きくにぎわった宿場。しかし、現在は国道1号線の下にひっそりとたたずむ山あいの町で、本陣跡の碑が畑の中に建っている。宿を出て片山神社を過ぎると八町二十七曲がりの鈴鹿峠越えが始まる。旅籠の数48。日本橋から420.5km。
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土山
鈴鹿峠を越えると滋賀県で、「坂は照る照る鈴鹿は曇る、あいの土山雨が降る」と馬子歌にある土山へ向かう。道の下り始めには「万人講常夜灯」の大きな石灯籠。町並みは当時の面影を残し、3代将軍家光が上洛の際に造られた土山本陣は、現在もその遺構や宿帳などが残っている。旅籠の数44。日本橋から430.2km。
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水口
秀吉の時代に水口岡山城が、その後3代将軍家光の宿舎として水口城が築かれ、その城下町として発達した。本陣跡を過ぎると道は3筋に分かれ、中央が東海道で、両側にそれぞれ道が並行して走り、ともに当時の面影をうかがうことができる。水口城跡は角櫓が復元され、水口城資料館となっている。旅籠の数32。日本橋から440.7km。
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石部
石部は「京立ち石部泊まり」といわれたように、京都から江戸へ向かう旅人が最初に泊まった宿場。東海道は、ほぼJR草津線に並行して走っている。道幅は狭く、古い家屋を見ながら本陣跡などを通り過ぎる。なお、石部駅南の雨山文化運動公園内に「石部宿場の里」と「東海道石部宿歴史民俗資料館」がある。旅籠の数32。日本橋から454.4km。
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