ジャーナリストの工藤律子さんが、人の暮らしと環境を軸に 「つながり」と「協力」に基づく新しい経済活動に取り組む現場を求めて、日本各地を訪ね歩く。
閉塞感のある社会で、生きたいように生きる――「創造集団440Hz(以下、440Hz)」のウェブサイトのトップに掲げられている言葉だ。そこには既存の社会のあり様に疑問を抱き、自分らしい働き方を追求する者たちの覚悟が見える。440Hzは、現在、株式会社の形態をとっているが、利潤よりも人を、競争ではなく協力を大切にした職場を築いている。
不登校からの気づき
メンバーは全員、フリースクール「東京シューレ」が、1999年に立ち上げた「シューレ大学」の出身だ。東京シューレは、不登校がまだ「登校拒否」と呼ばれ、不登校の子どもがひどく差別されていた時代からずっと、子どもたちが自分らしくいられる学びの場を提供してきた。そのシューレのスタッフが、18歳をすぎてからも自分らしい生き方をみつける学びを続けたいと望む若者とともに創ったのが、シューレ大学だ。
「そんなシューレ大にいた若者3人が、自分らしく、互いを尊重しながら、社会とつながるための起業をしたいと、440Hzを創ったんです」
440Hzのアドバイザーである教育社会学者の朝倉景樹さん(55)は、そう語る。朝倉さんは、30年近く東京シューレのスタッフを務めた後、2020年10月からシューレ大学の発展型である「TDU雫穿(てきせん)大学Tekisen Democratic University(以下、TDU)」の代表となった。TDUは、440Hzと協力しながら活動している。
440Hzは、2010年9月、映像・デザイン制作会社として産声を上げた。社名は、国籍や人種に関係なく、生まれたての赤ん坊の産声は440Hzだという話をもとに、「生まれたての赤ん坊がお腹の底から泣く時のような根源的なところから仕事をし、表現をして生きていきたい」という思いで付けられた。4人のメンバー(うち、1人は現在休職中)が運営に携わる。
代表取締役で映像制作担当の石本恵美さん(40)は、中二で不登校になり、東京シューレに4年通った。
「そこで初めて学校に行かないという生き方もあるんだと知り、気持ちが楽になりました。それでもまだ、自分には『価値がない』と思い込んでいて、自信が持ちきれませんでした」
そんな時、朝倉さんに声をかけられ、シューレ大の設立準備に参加することに。設立・運営に必要な予算、それに見合った学費、カリキュラムなどを、学生仲間やスタッフ全員で話し合って決める過程に関わった。
「主体的に、人と生きる楽しさを知りました。大学では、映像表現とも出会い、映像を通して社会と関わり、社会を良くしていきたいと思うようになったんです」
その思いを叶えるために、仲間と440Hzで働く。
「僕の場合は、シューレ大のイベントで、ソーラーカーを作るという人の話を聞いたのが始まりです」
そう話すのは、企画とウェブ担当の長井岳さん(44)だ。彼も中学時代、長髪だった友人のために丸刈りを強制する校則に反対したところ、誰にも味方になってもらえず孤立し、不登校に。「不登校になるのは弱い人間だ」と思いつめ、強くなるために働こうと、水道工事の仕事に就いた。ところが、労働現場にも学校と同じように「上が決めた仕組み」があることに気づき、しだいに追い詰められていく。その息苦しさは、地元福島から上京して夜間大学に通う間のアルバイトで感じた「枠に合わせないと排除される」という不安とともに増し、とうとう大学を中退してしまう。
「『不登校』をまずしっかりと考えなければ、自分の問題を乗り越えられない。そう気づいて、いろいろな不登校関係のイベントに参加するうちに、シューレ大と出会ったんです」