社会的連帯経済の目標である「人の暮らしと環境を軸にした、民主的で持続可能な社会の構築」。それを市民が牽引している例が、兵庫県宝塚市にある。その中心的な存在である「宝塚すみれ発電」の活動の現場を訪ね、代表取締役・井上保子さん(63)に話を聞いた。
原発問題と食の安全
「大学の変わり者の先生方に、本当の生き方を教わりました」
京都精華大学で漫画を学んだ井上さんは、市民運動に関わるようになったきっかけを、大学時代に見出す。
「私は、教科書で原子力発電は未来のエネルギーだと紹介された世代なんですが、大学の自然科学概論で初めて“原発は夢のエネルギーなんかじゃない、ろくでもない電気だ”と教わったんです。その19歳の時の記憶が、ずっと頭に残っています」
その後、反原発運動に参加するようになり、全国各地の原発立地場所にも足を運んで、抗議行動を行った。だが、福井県若狭町で、「電気を使うだけの都市からやって来て、地元のことを何も知らないのに反対するな」と、地元の高齢男性に面と向かって言われたことに、無力さを感じた。
「自分たちの暮らしの中でやれることをやらなければ、と考え始めました」
1986年のチェルノブイリ原発事故の際、電力会社に太陽光発電への切り替えを訴えたが、「コストがかかりすぎる」と一蹴された。2011年、福島の原発事故が起きて、市民自らの手で再生可能エネルギーを生み出していこうという思いが、強くなる。
「事故後、若い人たちが原発を怖がって(関西へ)避難してきました。その中には再生可能エネルギーに関心を持った人もいます。けれど、その関心は長続きしませんでした」
また、若い頃から安全な食品の共同購入を続けている井上さんは、地元・宝塚市で安全な食を考えた農業が続けられることの重要性を、強く感じてきた。
「食べ物のことを知ると、その裏にあるさまざまな現実や社会問題が見えてきます。私が好きなバナナを生産する海外のプランテーションでの労働搾取や、水俣病で漁ができなくなった漁師さんたちが甘夏栽培を始めたことなど。食べ物を通して多くを教わり、農業の大切さを痛感しました」
これらの経験が、その後の井上さんの活動に反映されていく。
市民発電所を作る
福島原発事故の1年後、井上さんは、始まったばかりの再生可能エネルギーの固定価格買取制度(FIT=Feed-in Tariff。一般家庭や事業者が再生可能エネルギーで発電した電気を電力会社が一定の価格で一定の期間高く買い取る制度)に注目して、ボランティア仲間と共に、宝塚市に太陽光パネルを使った市民発電所を作ることにする。NPO法人「新エネルギーをすすめる宝塚の会」を仲間と立ち上げ、反原発の思いを共有する地主が所有する耕作放棄地に、市民自らが資金と労働力を提供して出力容量11.16kWの太陽光パネルを設置し、発電を始めた。電力会社がやろうとしなかった太陽光発電所を自力で実現したことで、市民ボランティアのモチベーションは一気に高まる。だが、当初は想定していなかった問題が生じた。
「(太陽光)パネルとパネルの隙間に雑草がたくさん生えてきたんです。雑草が伸びると、その影が発電量の低下などの原因となるので、頻繁に草取りをしなければなりませんでした。それが次第に重荷となっていったんです」
この出来事から井上さんは、発電所を市民のボランティア活動を主体としたNPO法人として運営し続けることの難しさに気づく。
「市民のボランティア活動と事業を一緒にするのは、よくありません。NPOは普及啓発活動には向いているが、(発電という)収益事業をやるものではない。お金の使い方もきちんと提示できる株式会社を作って事業を続けよう、と思いました」
2013年5月、再生可能エネルギーの地産地消を実践する「非営利型株式会社 宝塚すみれ発電(以下、すみれ発電)」を設立。「非営利型」には、井上さんの哲学が込められている。
「会社は儲けるためにあるのではなく、発電事業を継続するための活動資金を捻出しているだけです。市民の出資金を使って、どう地域に貢献するかが、大切なんです」
農業を守りながら、産業を作る
井上さんたちは、2016年6月までに、計6つの発電所を宝塚市中心に設置。自立性を保つために補助金は一切受け取らず、費用は市民からの出資や行政からの融資などで賄った。作られる電気は、1カ所を除いてすべて国内最大級の生活協同組合である「コープこうべ」(組合員約173万人)が運営する「コープでんき」に販売している。