パートナーでフォトジャーナリストの篠田有史と共に、私は1990年から毎年のようにキューバに通い続けてきた。それはまさにキューバが、特に経済面で大きな後ろ盾だったソ連・東欧社会主義圏を失ってからの苦難を見守る歳月だった。最初の取材から30年がたとうとしている現在、キューバの人々は、社会主義国であり続けながら、グローバル資本主義に覆われた世界を、どう生きようとしているのか。
トランプ効果
「オバマが緩和した経済制裁をトランプがまた強化したことで、“米国化する前に社会主義国キューバを見ておこう”と押し寄せていた観光客が、来なくなった」
つい最近まで首都ハバナにあるイギリス系旅行会社で働いていたキューバ人女性(28)は、そう嘆いた。不景気の中、会社は今、キューバからの撤退を考えているという。
7月、キューバ観光省は、トランプの対キューバ経済封鎖強化により、米国からのクルーズ船がキューバに寄港できなくなったことで、観光客が減少傾向にあると指摘した。2019年、キューバを訪れる観光客数は、約478万人だった昨年度よりも10パーセントほど少なくなりそうだという。
資本主義世界に生きる人々は、オバマ米大統領がキューバを訪問した2016年を境に、ラテン社会主義国の「最後の姿」を見ようと集まってきた。米国人観光客も急増した。ところがトランプ大統領が登場し、再びキューバ制裁を強化した途端、「まだ当分変わらないだろう」と、熱が冷めたということだろうか。
一方、私と篠田にとっては、「米国化する前に」という議論は、安易にできるものではない。キューバ革命以前の米国の半植民地状態を思い出すのと同時に、単純に米国的な資本主義に染まることを望まないキューバ人を、大勢知っているからだ。無論、彼らも私たちも、平均月収が5000円にも満たない今のままのキューバでいいと考えているのではない。変化は必要だが、急速な米国化はまずい。キューバ人たちは、自分たちが追い求めてきた格差のない自由で平等な社会という理想と、経済的困窮という現実の狭間で、葛藤し続けている。
9月、ミゲル・ディアス・カネル大統領は、キューバに石油を供給しているベネズエラの石油会社に対する米国の制裁のせいで、エネルギー不足に陥っていると、国民に告げた。そして、職場や家庭における省エネ対策を促した。
「(篠田と私)二人は、いつもキューバが大変な時期に来るんだね」
とは、若き友人からのメールだ。24歳の大学生ユーヒは、貿易の85パーセント以上を占めていたソ連・東欧社会主義圏が崩壊した直後に起きた1990年代の経済危機・「平和時の非常時」の最も厳しかった時期を知らない。だから、今回の危機がどこまで生活に影響するかわからず、心配なのだ。最近ではバスなどの公共交通機関の大半が、本数が減ったり値上がりしたりしているという。
「(9月に始まった大学の)授業も、毎日通学するのは大変だろうからという大学側の配慮で、週5日分を、2日間で行うことになったよ」
通学日にバスが来なくて遅刻しそうになると、「40、50年代のアメ車」の乗合タクシーを使うが、その料金も一律10ペソ(約40円)から、長距離だと倍の値段に上がったという。ちなみに、バス運賃は1円以下だ。
9月後半に訪れたハバナは、ユーヒの心配に反して、「平和時の非常時」のような状況には陥っていなかった。メキシコシティから飛行機でおよそ2時間半、ハバナの空港に到着した私たちは、タクシーで街へ向かった。中心街まで30分ほどの道のりは、90年代前半の「すれ違う車がほとんどない」状況とは違い、意外と車が走っている。「(ガソリンや軽油は)量は限られているけど、あるよ」と、運転手が言う。
ところが、それも首都ならではという面があることが、田舎に暮らす友人からの電話でわかった。
「君たちに会いに行きたいんだけど、飛行機は満席だし、バスも動いていないんだ」
ハバナに着いた日の夜、電話口でアリスティデス(64)は、悲しげにそう呟いた。彼は、スペイン人征服者がキューバで最初につくった東部の町バラコーアで、自営のベジタリアン&ビーガン・レストランを経営している古い友人だ。2年前にハリケーンで家もレストランも海に流された際、私たちがテントを寄付したことで、さらに絆が深まった。今回も彼のレストランのために私たちがメキシコから持ってきたものを受け取るついでに、会いに来ようと思っていたようだ。しかし、休みなしで走ってもハバナまで13時間はかかるなか、まともな交通機関が動いていないとなると、受け取りは困難だった。
ハバナから地方都市へのバスの運行は、毎日から週2〜3回に減らされていた。自家用車を持っている人が少ないキューバで、バスが使えないと、あとは飛行機か乗合タクシーしかない。飛行機は高いので、長距離乗合タクシーが常套手段だが、こちらも燃料不足の中、料金が上がっている。結局、移動できるのはお金がある人間に限られる。
近年、町なかでよく見かけるようになったのは、充電式の電動バイクだ。中国からの輸入品に加え、2年ほど前から国内生産に着手し、日本円にして11万円ほどで販売されている。電気代が安いキューバでは、ガソリンや軽油で動く車よりも合理的な乗り物だ。「平和時の非常時」には停電が続き、庶民の足はもっぱら自転車だったが、電気があるならバイクの方が早くて楽だろう。2008年にラウル・カストロ前議長の時代になってから、市場経済の一部導入が加速し、自営業でより良い収入を得られるようになったり、あるいは海外にいる家族や親戚から送金を受けてきた人たちは、電動バイクを買うお金がある。