首都ハバナから西へ約280キロのところにあるサンタ・クララは、カストロ兄弟とともにキューバ革命を戦い、のちにボリビアで暗殺された医師で革命家の、エルネスト・チェ・ゲバラが眠る町だ。町の入り口には、銃を手に歩むゲバラの像が立つ。その町で、ある医師一家に出会った。
町のドクトーラ
2018年8月、私たちは、久しぶりにサンタ・クララを訪れようと考えはじめていた。ニューヨークに暮らす若いキューバ人の友人が、この町近郊の出身であることを思い出したからだ。彼の家族か友人に会うことができれば、いつも滞在する首都ハバナとは違う、地方都市の生の声が聞けるかもしれない。
私はさっそく友人に、サンタ・クララ市内に住んでいる知り合いはいないか、SNSで尋ねてみた。すると、こんな返事が来た。
「町のほぼ中心に、僕の叔母が住んでいるから、行ってもいいか聞いてみるね。彼女はドクトーラ(女性の医師)なんだ」
私はすぐに、「ぜひお願い」と返信した。キューバの医師と、いわゆるインタビューではなく、自然なかたちでいろいろ話をしてみたかった。取材、あるいは怪我などで診察を受けた時に話したことはあったが、個人的な付き合いはあまりなかった。まして、50代後半だという友人の叔母のようなベテラン医師に、知り合いはいない。キューバが誇る無償医療を支えてきた彼らの本音を知りたい。
キューバは、経済的には貧しい国だが、高い医療水準には定評がある。貧困国の国民の寿命は大抵短いという世界の常識に反し、その平均寿命は79.0歳と、米国の78.5歳を上回る(世界保健機関2018年更新版)。5歳未満児死亡率も1000人当たり5人と、米国の6.5人より低い(世界保健機関2019年更新版)。
数日後、友人から、「叔母は歓迎してくれるそうだよ」というメッセージとともに、彼女のメールアドレスが送られてきた。そして、9月初め、訪問予定を連絡すると、さっそくドクトーラが「お待ちしています」と、自宅の住所を送ってくれた。その2週間後、私たちは、ハバナから長距離乗合タクシーで、サンタ・クララを目指した。
ドクトーラの家は、町の中心にある公園から5ブロック歩いた角にあった。
「迷わなかったかしら」
近くの診療所からもどったばかりだというドクトーラ(57)が、私たちを自宅へ招きいれ、そう微笑んだ。長い髪を後ろにまとめ上げた知的な雰囲気の女性だ。3年前からこの家に住んでいるという。
「三世代、一つ屋根の下で暮らしています」
自宅は2階建てで、寝室が3つにリビングと台所、シャワールームのついたトイレがある。そこに、長女夫婦とその赤ん坊、医学生の次女ラウラ(23)とともに生活していた。夫とは離婚しており、たまに「もうほとんど家族」である次女の恋人で医師のヘンニ(31)が泊まりにくる。この日も、夕方になって、診療所での仕事を終えた彼がやってきた。
ドクトーラの仕事は、地域の診療所と連携しながら、ファミリードクターとして、近隣住民の健康管理を行うことだ。キューバでは、どんな田舎でも、国民一人ひとりに必ず、「ファミリードクター」がいる。ファミリードクターは、公衆衛生や心身両面の医療ケアの知識とスキルを持つ総合診療医で、地域の人たちが病気にかからないように、担当住民の健康を常に気にかけ、異変にいち早く気づいて対応する。一人のドクターが、だいたい120世帯を担当しているという。専門的な治療が必要な場合は地域の診療所へ、より複雑な治療には、病院へと患者をつなぐ。
夕方、リビングでドクトーラと話をしていると、ドアが開け放たれた玄関口に、中年女性が現れ、心配そうな顔でこう言った。
「ドクトーラ。父さんの調子が悪そうで、熱があるんじゃないかと思うんだけど」
すると、ドクトーラは「わかったわ。心配しないで」と告げながら立ち上がり、2階の自室へ上がっていく。それから、白衣を羽織り、聴診器を首から下げて戻ってきた。そのまま外へ出て、はすむかいにある家の中へと消えていく。
しばらくすると、何事もなかった様子で帰ってきた。ただの風邪だろう、と言う。
「でも、家族というのは心配するものですからね」
そう言いながら、聴診器を首から外す。「いつも呼ばれたら行くんですか」と尋ねると、
「ええ。皆、顔見知りだから、気軽に声をかけてくれるのよ」
と、穏やかに答える。
医師に診てもらうにはお金と時間がかかり、往診は有料が当たり前の日本とは違う。近所づきあい感覚の往診が、羨ましい。
台所では、医学生の次女ラウラが夕食の準備をしていた。なぜ医学を学ぶことにしたのかと聞いてみる。
「母さんが人を助ける姿に憧れて」
彼女は少しはにかみながら言った。同世代の多くが、より良い収入を得るために国を出ていくことを考えている現実については、
「私は、仕事はお金を稼ぐためだけにやるものじゃないと思っているので、とりあえず外へ行って稼ぐ、という考えには賛成できないわ」
と、自分の意見を述べる。
「仕事は、やりがいが大切。人のために尽くしてこそ、心が満たされる」
彼女にとっては、人に奉仕する医師こそが、やりがいのある仕事なのだろう。