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連載

変革への闘い

「社会的連帯経済」への誘い1 未来を生きるための経済

工藤律子(ジャーナリスト)

この連載をもとに再構成した書籍『働くことの小さな革命 ルポ 日本の「社会的連帯経済」』が、集英社新書より2025年2月に刊行されました!

 パンデミックを生きるなかで、私たちの多くが、これまでの経済のあり方のおかしさに気づき始めている。脱成長、反グローバリズムなど、以前から一部では叫ばれていた「既存の資本主義経済を続けていてはダメだ」という声に、共感する人は増えているだろう。それは、気候危機を訴え、大人の対応の不十分さに怒りを示す若者たちの姿にも映し出されている。そもそも問題はどこにあり、どう乗り越えることができるのか。

パンデミックが明らかにした現実

 この5年余り、私は時折、大学生を相手に「雇用なしで生きる」というテーマで講義をしてきた。自給自足生活をせよ、と言っているのではない。正規であれ非正規であれ、会社に雇われて働くことだけが人生じゃない、未来を見据えた選択はほかにもある、という話をしているのだ。
 大学を卒業すれば、会社に就職して働くのがほとんど当たり前だった時代と異なり、今は、例えばテクノロジーを利用して起業するなど、より自由な働き方ができる環境にある。給料よりも社会貢献度を優先して職を選ぶ若者が増えているとも聞く。だが、それでも「就活」イコール「会社探し」と考えている者が、意外と多いことに驚く。「会社に雇用されなくても生きていけるなんて、思いもしなかった」。学生からはよくそういう反応が返ってくる。就活で内定をもらえなければ絶望的で、自分の存在まで否定された気分になりかねない若者が、大勢いるということだ。
 日本の子どもの大半が、いまだに「よりよい将来のためには、大学を出て、いい会社に入る必要がある」と周囲の大人に言われ、学校での競争を勝ち抜き、いい学校へ進学しようとしている。それが人として幸せになる道だと思い込まされているからだろう。その道を外れれば、苦しみと自己否定感に襲われる。しかも現実には、競争を勝ち抜ける人間は少数派で、多数はどこかの段階である程度の妥協を迫られることになるのだから、たまらない。
 そのモヤモヤ感、心から幸せだとは言えない日常。それは戦後、日本人が、豊かになるには資本主義世界の優等生である欧米の経済力に追いつき、追い越さなければと考えてきたことに由来するものだろう。政府は、その経済成長に必要な人材を確保するために、教育まで、経済政策を軸にデザインしてきた。効率的で生産性の高い、経済成長に役立つ「能力」を持つ人間を育てるために競争をさせ、勝ち抜いた者こそが社会にとって価値のある人間であるかのような空気を作り上げたのだ。その結果、子どもたちの間では、多様な人間同士の認め合いや助け合いがより困難になり、差別やいじめ、不登校が広がり、大勢の若者の人生を狂わせてきた。
 つまり、経済成長ありきの競争社会が私たちに植え付けた「常識」は、本当は「非常識」。非常識を常識と信じる大人たちが築いた社会は今、学歴、所得、ジェンダー、国籍、障がいの有無など、様々な違いによって、人々を分断している。分断は、数々の深刻な社会問題を生み出してきた。
 例えば、中高年まで続く引きこもりの長期化。劣悪な環境で働く外国人労働者への搾取。非正規雇用が多い女性やひとり親家庭の貧困。解消されない男女の賃金格差。「子どもをつくらないから生産性がない」といったLGBTへの謂れの無い差別。重度障がい者は生きる意味がないという人権無視の身勝手な論理で起きる殺人。どの出来事の背景にも、経済成長ありきで作り上げられた歪んだ社会が透けて見える。環境破壊と気候変動も、その歪みの産物だ。
 そして現在、コロナ禍が強いる新たな生活・労働のあり方は、すでにあった社会の分断を一層深いものにしている。非正規雇用労働者の多くは職を失い、生活困窮者は更に追い詰められ、エッセンシャルワーカーは休みたくても休めない一方で、自宅でもできる職種の会社員はテレワークで安全に働き、IT企業はかつてない利潤を上げる……。この矛盾だらけの社会状況は、パンデミックによってもたらされたのではなく、もともとあった経済格差や貧困、差別の問題を長く放置してきた結果だ。
 だからこそ、私たちは改めて自覚しなければならない。従来通りの道筋で会社に就職して働き、お金を稼ぐことが、豊かな暮らしと社会、幸福な未来を築く道ではないということを。「雇用なしで生きる」というのは、その自覚を呼び覚ますためのフレーズだ。
 では、これから私たちは、どんな道へと進めばいいのだろう。

「社会的連帯経済」の勧め

 実は、世界には、既存の資本主義経済とは異なる経済を創ることで、誰もが人間らしく、安心して暮らせる社会を築こうと歩む人たちが、すでにいる。「社会的連帯経済(Social Solidarity Economy)」と呼ばれる経済を形成する人々だ。
「社会的連帯経済」という言葉は、「社会的経済(Social Economy)」と「連帯経済(Solidarity Economy)」をつなげて作られた。「社会的経済」は、フランスやスペイン、イタリアといったラテン系欧州諸国を中心に広がっている概念で、「連帯経済」は、ラテンアメリカをはじめとする地域で環境保護などの社会運動と結びついて展開している考え方だ。どちらも、「既存の資本主義の論理に基づかない経済を創る試み」である点で一致していることから、結びつけて使われるようになってきた。そこで、ここでは「社会的連帯経済」を語ろうと思う。
 社会的連帯経済の主な担い手は、労働者協同組合(Worker Cooperatives)をはじめとする様々な協同組合やNPO、フェアトレード、有機農業、地域通貨などを運営する人たちだ。つまり、日本にも、その担い手は存在している。
 まずは、私が2012年から取材してきたスペインの社会的連帯経済を例に、話を進めよう。
 スペインは、欧州の中でも社会的連帯経済が盛んな国の一つだ。スペインの関係組織全体を代表し、政府や欧州連合(EU)、国際連合(UN)などに働きかける「社会的経済スペイン企業連合(CEPES)」によれば、2019年現在、スペインでは、人口の4割以上が社会的連帯経済に何らかの形で関わっており、その経済活動は国内総生産の約10%を生み出している。EU全体でも、社会的連帯経済は域内総生産の約8%を占め、約1360万人の職場となっているという。
 スペインで社会的連帯経済を推進する人たちは、どんな経済を目指しているのか。担い手たちにその質問をぶつけると、必ず返ってくる言葉がある。
「人の暮らしと環境を軸にした経済」
「人の暮らし」を軸にするということは、経済成長やそのための競争、利潤追求ではなく、人の暮らしを守ることを優先する経済を創るということだ。
「環境」という側面については、環境破壊をもたらしてきた既存の経済活動を、自然との共生を念頭に置いた経済活動に変える、という共通目標がある。環境破壊によって起きている気候危機は、その原因をつくっている私たち自身が対処しなければ解決できない、人類全体の課題だ。今まで同様の経済活動を続けていては、気候危機は手に負えない状態にまで行き着き、地球も私たちの未来も崩壊する。だから、私たちの手で、自然との共生を前提とした社会的連帯経済を創り、危機を回避しようというのだ。既存の経済活動が危機に加担していることは、パンデミックで世界中の経済活動が停滞した時期に、温室効果ガスの排出量が急激に減少したという事実からも明らかだ。未来を考えるとき、環境を軸にした持続可能な経済は不可欠なのだ。
 では、私たちは、具体的にどんな原則に基づく経済活動をしていけばいいのだろうか。スペインのシンクタンク「アルテルナティーバス財団」の研究所が報告書「社会的連帯経済 現状とスペインの展望」(2019年12月)で提示する社会的連帯経済の定義をベースに、わかりやすくまとめると、次のようになる。

著者情報

ジャーナリスト

工藤律子

くどう りつこ

1963年大阪府生まれ。東京外国語大学地域研究研究科修士課程在籍中より、メキシコの貧困層の生活改善運動を研究するかたわら、フリーのジャーナリストとして取材活動を始める。著書に『仲間と誇りと夢と』(JULA出版局)、『ストリートチルドレン』(岩波ジュニア新書)、『マラス 暴力に支配される少年たち』(集英社、開高健ノンフィクション賞受賞)、『マフィア国家 メキシコ麻薬戦争を生き抜く人々』(岩波書店)、『ルポ 雇用なしで生きる スペイン発「もうひとつの生き方」への挑戦』(岩波書店)、『働くことの小さな革命 ルポ 日本の「社会的連帯経済」』(集英社新書)などがある。NGO「ストリートチルドレンを考える会」共同代表。

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