論文の内容にも驚嘆しました。教育の規制緩和、カリキュラムの商品化、テスト産業、学校選択の自由と教育企業など、教育の新自由主義に関する最新かつ豊富な事例が取り上げられ、鋭い分析が行われていました。今回、同氏が過去に著した論文や雑誌記事を検索したところ、それ以前には類似したタイトルが見当たらなかったので、おそらくこれが佐々木氏が初めて教育の新自由主義を本格的に取り上げた論文だったと思われます。
先述した通り「新自由主義の展開による格差と貧困の拡大」という捉え方が、研究者の世界でもほとんど認知されていなかった時代のことですから、佐々木氏の論文の画期性は明らかです。この論文の構想をどのように進めたのかは分かりませんが、出会ってから2~3年の間、私は佐々木氏と会うたびに教育の新自由主義を話題にしていましたから、そのことが一つのヒントになったのかも知れません。
佐々木氏は、それ以後も『現代思想』の教育特集号に毎年論文を発表しています。「労働と教育」(2004年)、「教育基本法改正案とファシズム」(2005年)、「教育『民営化』の意味」(2006年)、「教育と心性操作」(2007年)と、いずれも教育の新自由主義がテーマであり、のちに著書『教育と格差社会』(青土社、2007年)にまとめられることとなりました。その後も同テーマでの論文発表は、19年まで続くことになります。つまり佐々木氏は02年以降、教育の新自由主義批判を自らのライフワークとされたのです。彼の文章を読んだことをきっかけにして教育研究者となった私が、02年以降は同氏が新たに発表する論文を参考にして、自らの研究を進めることになりました。
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1933年生まれの佐々木氏は、2002年の時点で60代終盤です。その年齢で言論界や学界でも最先端のテーマに新たに取り組み、70~80代にかけてそのテーマを深めた論稿を書き続けるというのは本当に稀有なことです。
佐々木氏がそうした作業を実現できた理由は、第一に定時制高校の教員として、ノン・エリートの生徒たちの労働現場を丁寧に捉える「若者のミカタ」的なスタンスをとっていたからだと思います。新自由主義による影響は、ノン・エリートの労働現場にいち早く表れました。佐々木氏は、そこから新自由主義の問題点をキャッチしたのでしょう。
第二の理由としては、若者に対して温かい眼差しをもつ教員だったことです。定時制高校教員としての生徒との関わりにもよく表れていますし、それは退職後も全く変わりませんでした。そのことは1967年生まれで、佐々木氏にとっては「若者」の一人であった私がよく知っています。日本社会における新自由主義の矛盾は、若者に集中的に表れましたから、佐々木氏はその点にとても敏感に反応することができたと予想されます。
『現代思想』2008年4月号において、私と佐々木氏は「学校改革――何が変わったのか」というテーマの対談を行いました。私は、同氏がこれまで発表してきたすべての著書を読んで臨んだのですが、それでも1950年代から2000年代までの長期にわたる学校教育と労働市場との関係を議論した対談は、私にとって学ぶことの多い刺激的なものとなりました。この時の記事は雑誌掲載後、私の著書『ブラック化する教育』(青土社、2015年)に収録されています。
名前を知ってから約40年。そして出会ってから約25年もの間、佐々木賢氏は教育研究者としての私を絶えず応援し、見守ってくれる存在でした。「若者のミカタ」である先輩の温かい眼差しは、これからも私の中で生き続けると思います。