みなさんは、教育者・教育評論家として多くの功績を残された佐々木賢氏をご存じでしょうか?
2023年3月、東京都三鷹市で行った私の講演会で、参加者の方から「佐々木賢さんが亡くなられた」とうかがいました。私は大きなショックを受け、講演の冒頭で故人との思い出と、自分の人生に与えてくれた決定的な影響についてお話ししました。佐々木氏との出会いがなければ、教育研究者としての今の私はなかったからです。
佐々木賢氏は1933年、現在の中国・瀋陽(しんよう)市で生まれました。戦後、日本に引き揚げて教育者となり、教育問題に取り組みます。
私が佐々木氏のことを知ったのは高校時代です。私が都立武蔵高等学校に通っていた83~86年当時、定時制クラスの教員として同校に勤務されていました。私は教わっていた他の教員から、「佐々木賢先生」の名前を聞かされました。その頃すでに佐々木氏は、『朝日ジャーナル』の寄稿「『非学の気分』が広がっている」(朝日新聞社、1982年)や著書『学校を疑う 学校化社会と生徒たち』(三一書房、1984年)など、優れた教育批評の書き手として広く知られていました。しかし私は全日制の生徒でしたから、「そんな先生が本校にいらっしゃるんだ」と思っただけで、高校時代は教わることも直接お会いすることもありませんでした。
80年代前半、世間では「荒れる中学校」などが大きく社会問題化します。校内暴力やいじめ、登校拒否などが新聞・テレビなどで取り上げられることも多くなり、対応にあたる学校側の厳しい生活指導や体罰、管理教育も社会問題として扱われていました。私もそうしたニュースによって、高校生ながら教育をめぐる問題に関心をもつようになりました。当時の都立武蔵高校は制服もなく、とても自由な校風でしたから、教育における「管理」と「自由」との関係について考えることも多かったのです。私が高校1年の時、愛知県や千葉県の管理教育について取り上げた文章を、武蔵高校の編集部が発行していた新聞に書いたことを今でも覚えています。
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佐々木氏との縁が深まったのは高校卒業後のことです。書店で偶然、同氏の著書『当節定時制高校(パートタイム・スクール)事情』(有斐閣新書、1987年)を発見しました。著者名に覚えがあったことで、この本が目に飛び込んできたのです。早速購入して読み始めると、この本が82~86年にかけての都立武蔵高校定時制クラスでの佐々木氏と生徒との交流を描いたものであることが分かりました。
私も同じ校舎に同時期通っていましたので、厳しい生徒管理は行われておらず、教員の自由度も高いところなどは理解が容易でした。その一方で、普通科で大学進学を目指す生徒が大半の全日制クラスと、定時制クラスとの違いには衝撃を受けました。ことにシンナーの乱用、喫煙、暴走行為、万引き、予期せぬ妊娠など、さまざまな問題が起きていたことに驚きました。私が知る全日制クラスとは、全く異なる教育現場が存在していることに目を開かされ、自分の視野の狭さを痛感したものです。
80年代当時の日本社会は、現在よりも経済格差・社会格差がはるかに小さく、「1億総中流社会」という言葉が頻繁に使用されていました。しかし、当時でも全日制と定時制とでは生徒の出身家庭の経済状況や取り巻く環境が大きく異なっていたことは、『当節定時制高校事情』を読めば明白でした。定時制に通う多数の生徒が、出身家庭の経済的貧困や社会関係の乏しさに苦しんでいること、家族や周囲の人間によって引き起こされる暴力に傷ついていることがよく分かりました。
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この本で印象に残っているのは、定時制に通う生徒に対する佐々木氏の眼差しと関わり方です。たとえば生徒が問題行動を起こしても、頭ごなしに否定することは一切ありません。問題を起こした本人の「自己責任」として捉えるのではなく、その背後にある社会構造を冷静に捉えようという温かい眼差しが、問題に対する鋭い洞察を生み出しています。また生徒と向き合う時は、相手を早く理解しようとするのではなく、ありのままの生徒とできる限り長くつきあうこと、正面から「教える」のではなく傍らにいて「見守り、待つ」という姿勢が感じられました。
さらに同書の「あとがき」で紹介されていた、ジャーナリストの松田博公氏との共著『果てしない教育? 教育を超える対話』(北斗出版、1986年)も読みました。同書ではオーストリア出身の思想家・哲学者であるイヴァン・イリイチの「脱学校論」「シャドウ・ワーク」の議論を参照しながら、「教育は良いものだ」という〈近代教育幻想〉を相対化する方向を探究。佐々木氏の教育への理論的・思想的アプローチを知ることができました。
『当節定時制高校事情』に著された学校現場での実践と、『果てしない教育? 教育を超える対話』での教育への理論的・思想的アプローチが、見事に結びついていることに私は新鮮な驚きを感じました。この2冊を読むことで、教育現場で引き起きている問題に対して学問的にアプローチすることの可能性を発見した気がします。そして、自身の中で温めていた「教育問題」への興味や関心を、学問的に探究する道に進むことを考えるようになったのです。その後、私は教育学を専門とする大学院に進学し、教育研究者を目指すことになりました。
98年4月、私は松山大学(愛媛県松山市)に就職し、教育研究者としてのキャリアを開始して間もなく、東京で開催した私の講演会で佐々木氏と初めてお会いすることができました。そこで教育研究者を目指したきっかけをお伝えすると、佐々木氏はとても喜んでくださり、交流が始まりました。そのことは私にとって大きな励みでした。
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佐々木氏との縁はその後も続きます。
当時、私は雑誌『現代思想』(青土社)の編集長であった池上善彦氏が主宰する「80年代研究会」に参加し、研究会では三宅芳夫氏(現・千葉大学教授)、酒井隆史氏(現・大阪公立大学教授)らと、80年代以降の新自由主義を批判的な視点から思想的・構造的に分析する作業を始めたところでした。ここでの議論がきっかけで私は教育における新自由主義を自らの研究テーマとすることになったのですが、のちに『現代思想』の2002年4月号で「教育の現在」という特集が組まれ、私は執筆者の一人となりました。この同じ号に佐々木氏も論文を寄せられたのです。
「教育の現在」特集は、教育の新自由主義批判が大きな柱となっています。しかし、この時期はまだ「新自由主義の展開による格差と貧困の拡大」という捉え方は、一般世論はもちろん研究者の世界でもほとんど認知されていませんでした。「80年代研究会」の先進性はそこにこそあったのです。
佐々木氏がそれまで自身の教育理論で参照してきたイヴァン・イリイチは、教育の新自由主義を主たる対象としては取り上げていません。いかに教育問題に造詣が深い佐々木氏であっても、特集の趣旨とはズレが生じるかも知れないと一抹の不安を感じていました。
しかし、同誌に掲載された佐々木氏の論文を読んで私は驚きました。タイトルがずばり、「教育ネオ・リベラリズムの正体」となっていたからです。ネオ・リベラリズムとは「新自由主義」のことです。佐々木氏は教育の新自由主義を正面から取り上げる論文を書かれたのです。