多くの不安や反対の声をよそに、2023年度入試から都立高校入試の評価制度の一つとなった「中学校英語スピーキングテスト」(ESAT-J)。本連載でも過去に紹介した通り、私が代表をつとめる「入試改革を考える会」では、他の市民団体や「英語スピーキングテストを入試に活用させないための議員連盟」(英語スピーキングテスト議連)と連携してESAT-Jの都立高校入試活用を反対してきました(→バックナンバー)。しかし昨年11月には約6万9000人の中学3年生を対象に第1回テストが実施され、その後は十分な議論もなく導入されてしまいました。
そのESAT-Jをめぐる混乱は、今もなお続いています。23年7月13日、東京都教育委員会(都教委)は、業務委託業者だったベネッセコーポレーションが、今年度限りでESAT-Jの運営から退くことを発表しました。都教委とベネッセが結んだ契約が23年度末に満了となり、24年度以降の事業者を募ったところ同社は応募せず、イギリスの公的な国際文化交流機関の「ブリティッシュ・カウンシル」のみが応募したとのことです。
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この発表に際して、私は大きな疑問を感じました。ベネッセがESAT-Jから撤退する理由について、都教委からも同社からも何の説明も行われなかったからです。そもそもESAT-Jは事業主体が都教委、運営主体はベネッセという位置づけでスタートしました。当然ながらベネッセはESAT-Jの試験内容や実施形式、運営方法に深く関わっています。
ベネッセは私企業なのだから、委託業務の継続に応じるかどうかは自由裁量であり、その間のいきさつを説明する必要はないと考える人もいるでしょう。しかし今回の撤退については、少なくともその理由を都民に説明すべきだったと私は思います。なぜならESAT-Jの運営主体として公教育に深く関わり、そこには多額の公金が投入されているからです。ESAT-Jが対象としたのは、特定の学校や区、市ではありません。東京都の公立中学校の全3年生を対象としたアチーブメントテスト(学力達成度を測定する試験)であり、そこでの成績がスコア化され都立高校入試に加点されるのです。つまりベネッセは、公共性のとても高い事業に関わったと言えます。公共性が高ければ、それなりの説明責任を負うのではないでしょうか。
しかもESAT-Jは「入試改革を考える会」をはじめ多くの市民団体や都民から、入試制度としても試験実施のあり方においても「問題があまりにも大きい」と強い批判を受けました。これに対し都教委とベネッセは、初年度のESAT-Jについて「特に問題はなかった」という立場を表明しています。今回の撤退理由が、そうした批判と関係があった場合には、「問題なし」の釈明はウソだったのでは? ということになります。そんな不信感を抱かせないためにも、撤退理由を丁寧に説明すべきでした。
それに加えて、今年11月に実施され、24年春の都立高校入試に影響するESAT-Jまではベネッセが運営を担当するということがあります。多くの市民団体や都民からの批判に対し、「特に問題はなかった」という立場を取り続けたにもかかわらず、理由説明もせず撤退を表明した事業者が行う試験を、「信頼してほしい」というのは無理があります。入学試験は公平性・公正性に加えて、信頼性が欠かせません。その点でも撤退理由を説明することが重要だったと私は考えます。
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ベネッセの撤退理由を、私なりに推察してみました。まず考えられるのはESAT-J反対運動の広がりで、企業全体のイメージダウンにつながることをおそれたのではないかということです。ベネッセは出版以外にも、教育関連で極めて多様な事業を展開しています。ESAT-Jへの批判が、同社の教育事業全般に影響を与える可能性があれば、それは有力な撤退理由となるでしょう。
次にESAT-Jの反対運動が広がったせいで、東京以外の道府県では入試への英語スピーキングテスト導入にブレーキがかかった可能性がある点です。ベネッセがESAT-Jの全国展開を考えていたなら、当初想定していたようには利益があがらないと判断するでしょう。
もう一つが、ESAT-Jの反対運動への対応に手間やコストがかかるようになったということです。この問題では都教委だけでなく、運営会社へも数多くの批判や質問が押し寄せたことが想像できます。さらに都議会における紛議で実施されることになった受験生の解答音声の開示も、当初は想定されておらずコスト増になったと考えられます。
私が挙げたこれらの理由は、大きくは私企業が入学試験に関わることの難しさから推察されるものです。こうした点については、共同事業を行った都教委に対しても、読みが甘かったのかどうかが問われることになると思います。
しかし、今年7月に「ベネッセ撤退」が発表されて以降もESAT-Jは延期や中止されることなく、来春受験生となる中学3年生は一斉実施される11月26日に向けて粛々と準備を進めています。
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そんな折、今年の試験実施における都教委の対応がニュースで報じられました(「都立高入試スピーキングテスト『イヤーマフ正しく装着』対策へ」NHK首都圏 NEWS WEB、2023年10月6日)。
この報道によれば、昨年度の試験について「ほかの生徒の声が聞こえた」と問題を指摘する声が上がる中、都教委はイヤーマフ(=イヤホン、ヘッドホン)を正しく装着すればテストに影響は出ないとして対策を行うことになったそうです。具体的には、イヤーマフに慣れていない受験生も多いとして、9月に都内の全公立中学校に正しい装着方法を記したチラシを配布。また受験生は、不正防止の観点から試験中にイヤーマフを触る行為を原則禁止されているため、うまく装着できなかった場合はスタッフを呼ぶよう周知するとのことです。
この都教委の対策はしかし、全く解決策にはなっていません。というのも「英語スピーキングテスト議連」や「入試改革を考える会」ら4団体が行った「#ESATJ実施状況調査」(22年11月27日~12月4日)では、次のような証言があったからです。
〈イヤホンの上からヘッドホンのようなものをしても隣の人の声が漏れていて正直、集中出来なかったです〉(中学3年生)
〈イヤホンがフィットしていないからなのか、イヤーマフをしていても他の受験生の回答する声が聞こえてきて集中しにくかったとの事〉(中学3年生の保護者)
〈ヘッドホンをつけていても周りの声が聞こえる。何を言っているのかもわかる時があった〉(中学3年生)
〈イヤーマフをしていても他人の回答が聞こえてしまう、声というレベルではなく単語もききとれる状態〉(中学3年生)
〈イヤーマフで隣の人の声が聞こえてしまう!というツイートについて。→大いに有り得ます。実際に試験終了直後に受験生の生徒が「周りの声が聞こえてた」と言っていたのを耳にしました。そのため、試験開始ボタンをズラせばもしかしたらカンニングは可能だったかもしれません〉(試験運営関係者)