アイヌ文化への理解を広げることで、アイヌ民族が誇りを持って生きられる社会を作ろうと、2019年4月に制定された法律(翌月施行)。正式名称は、「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」。アイヌ文化・伝統の振興とその国民への普及・啓発を図る文化法であり、やはり文化法であるアイヌ文化振興法(1997年制定)は、同法の制定と同時に廃止された。
アイヌ施策推進法は、アイヌ民族について条文で初めて「先住民族」と認めたことや、同法に基づいて北海道の白老(しらおい)に国立アイヌ民族博物館、国立民族共生公園を含む大規模な国立施設「民族共生象徴空間」(愛称ウポポイ〈アイヌ語で「大勢で歌う」という意味〉)が開設された(2020年7月)ことなどで話題を集めた。また、奪われていたアイヌ遺骨を仮保管する国の慰霊施設も併設されている。
大きな政策展開を感じさせたことから、アイヌ民族が1984年に自ら提案した「アイヌ新法(案)」を連想して「アイヌ新法」と呼ぶメディアもあった。しかし、かつてのアイヌ新法(案)が政治、経済、教育など包括的で総合的な法の制定要請だったのに対して、アイヌ施策推進法は文化法にとどまる内容であり、大きくかけ離れている。
アイヌ施策推進法による新政策の目玉は2つある。ひとつは「ウポポイ」の開業で、その管理運営には「アイヌ民族文化財団」が当たる。同財団は、「アイヌ文化振興法」によって設立されたアイヌ文化振興・研究推進機構と、それまで白老で野外施設「ポロトコタン」を運営してきた一般社団法人アイヌ民族博物館が2018年に合併して成立したものである。
もうひとつは、「アイヌ施策推進地域計画」という政策である。市町村が主体となり、アイヌ民族と相談の上、その地域における「アイヌ施策推進地域計画」を策定すれば、内閣総理大臣がこれをアイヌ文化の振興事業と認定し、交付金が与えられる(2020年度以降で、総額20億円)。とくに、この地域計画によって、儀式に使う林産資源の利用、鮭捕獲事業、またアイヌ工芸品の商標登録の手続きが簡素化される。
また、同法には、ヘイトスピーチなどを念頭に置いた差別禁止規定も盛り込まれている。「ウポポイ」の博物館の展示内容における歴史解釈が適切かどうかについては議論があるが、これらの施設がアイヌ民族の雇用の機会ともなる点では評価できる。
ただし、同法はアイヌ民族を「先住民族」と認める一方で、本来、先住民族が持つはずの権利(先住権、自己決定権)については何も書いていない。その基調は、権利の議論を棚に上げたまま、アイヌ文化や伝統についての知識や理解を普及させようというものである。そもそも土地や言語などのアイヌ民族の権利が1869年以来の植民地政策(「北海道開拓事業」)によって一方的に奪われてきたことを考えれば、本質的な課題を未解決のままで放置するものだと言わざるを得ない。
先住権に関わる具体的なテーマとしては、たとえば鮭捕獲の問題がある。2019年9月、紋別アイヌ協会の畠山敏会長は、儀式用の鮭を北海道知事の許可なく捕獲したとして北海道警察に告発された。今回のアイヌ施策推進法の施行により、儀式のための鮭の捕獲については、許可申請の手続きは簡便化されたが、北海道知事の許可が必要であることは変わらない。
畠山さんは、アイヌがヤウンモシリ(北海道)の川で鮭を獲るのは、アイヌの自己決定権に属することだと主張している。また、2020年8月には、ラポロアイヌネイション(旧浦幌アイヌ協会)が、明治政府に奪われた経済的権利としての漁業権の回復を、札幌地方裁判所に提訴し、係争中である。
さらに、アイヌ施策推進法は、林産資源の利用について、国有林をアイヌ民族が使う制度を明記した。だが、国と契約を結び、許可を得ての資源利用になるので、鮭の捕獲と同じように、アイヌ民族が本来持つ先住権としての森林使用の権利の侵害になるという懸念がある。