「憎悪犯罪」とも訳されるが、正確には人種、民族、肌の色、宗教、国籍、出身国、性別、性的指向、性別、性自認、障害等、社会的差別に根ざした偏見を動機とした犯罪を指す。殺人、暴行傷害、放火等の生命・身体・財産等を侵害する犯罪を指すことが多い。歴史上、異民族・異人種や性的少数者に対する集団暴行や殺害、難民施設への放火、宗教施設への破壊行為などが繰り返されてきた。2017年、アメリカでトランプ大統領が就任して以降、彼が繰り返した人種差別的言動と政策に煽動されたヘイトクライムが多発したことや、新型コロナウイルス感染症のパンデミックと関連してアジア系住民に対するヘイトクライムが増加したことによって、この問題に対する世界的な関心が集まった。
ヘイトクライムは、一般的な犯罪と較べて社会全体に幅広い悪影響を及ぼす。被害者と同じ属性を持つ集団の構成員、地域社会、そして国家全体に被害を与え、分断をもたらす社会的害悪である。ヘイトクライムの発生条件として、特定マイノリティ集団に対する社会的差別、そして、その差別を煽動するヘイトスピーチがある。対象に対する敵視、憎悪、無価値化、非人間化する考え方が社会的に醸成された結果、その影響を受けた者によってヘイトクライムが実行されるのだ。犯人の中には、その犯罪が社会的に容認され、賞賛されると考える者さえいる。
ヘイトクライムに対する、国連を中心とした国際社会による法的対応は、ナチスドイツによる戦前のユダヤ人に対するホロコーストを歴史的教訓としている。1948年にジェノサイド条約が締結され、その後も国際人権諸条約によって、各国による法的対応が促されてきた。EU(欧州連合)諸国などは、ヘイトスピーチそのものを刑罰対象とする立法を行い、ヘイトスピーチをヘイトクライムの一類型とすることで、差別が特定の人種・民族集団に対する集団虐殺(ジェノサイド)にエスカレートすることを防止しようとしている。アメリカは表現の自由を重視する観点から、連邦レベルではヘイトスピーチへの直接的な法規制を行っていない。しかし1968年のヘイトクライム法(連邦保護活動法)を皮切りに、1990年のヘイトクライム統計法、94年のヘイトクライム判決強化法、2021年5月のヘイトクライム防止法などによってヘイトクライムを厳罰化することで対処している。
日本は1923年の関東大震災時に朝鮮人に対するジェノサイド、戦時下に南京事件等のジェノサイドを引き起こした歴史を持つ。近年では1990年代に、安全のためにチマ・チョゴリ制服での登校を断念せざるを得ないほどの、朝鮮学校児童・生徒に対する暴力事件が相次いで発生した。21世紀になっても、京都朝鮮初級学校襲撃事件(2009年)を始め、在日コリアンや在日コリアンが運営する法人を攻撃対象としたヘイトクライムが相次いでいる。2016年には神奈川県の施設に入所する障害者19名を殺害、26名(うち2名は職員)に重軽傷を負わせた津久井やまゆり園事件が発生した。裁判では、障害者の生命には価値がなく殺害が国と社会によって賞賛されるに違いない――とする差別思想を犯行の動機とするヘイトクライムだったことが明らかにされた。
2021年に、京都府の在日コリアン集住地域(ウトロ地区)で放火を行ったとされる容疑者は、愛知県の大韓民国民団及び韓国人学校の器物破損もおこない、一連の犯行動機として「朝鮮人が嫌い」という旨の自供を行っていると報道されている。ヘイトクライムであると断定して差し支えないだろう。京都の事件で人的被害が発生しなかったことについて、同地域で活動するNPO法人京都同胞センターの金秀煥さんは、幸運な偶然が重なった結果にすぎなかったと語っている。
このように、ヘイトクライムが頻発しているにも関わらず、日本では全くと言って良いほど法的整備がなされていない。ヘイトスピーチに対してすら、罰則規定はおろか明確な禁止条項も解消法を2016年に施行したにすぎない。また、やまゆり園事件のようなヘイトクライムが発生しても、首相は社会全体に対して、毅然としたメッセージを発信しなかった。ほとんどのメディアも、やまゆり園事件を除き、ヘイトクライムをベタ記事扱いでしか伝えない。そして、小池百合子・東京都知事が都内で行われている関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者の追悼式に追悼文の送付を拒み続けるなど、社会的影響力が大きい人物による、ジェノサイドの歴史に対する軽視・否定が公然と行われている。結果として、ヘイトクライムはマジョリティにとって関係がなく、直接的な被害者だけが損害を受ける「些末」な問題であるという認知のゆがみが生じていると言わざるを得ない。ヘイトクライムが及ぼす社会的悪影響に目を向け、国際人権基準に則った、立法を含めた有効な対策を早急にとることが望まれる。