ジェノサイドとは、特定の人種、民族、宗教的集団について、その存在を抹殺することを目的として行われる、集団殺害をはじめとした暴力行為のこと。「集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約」(以下、ジェノサイド条約)によって、国際法上の犯罪であると定義されている。
ジェノサイド条約は、1948年に国際連合の総会で採択された、最初の人権条約である。第二次世界大戦時、ナチス政権下のドイツが実行したユダヤ人の集団殺害や迫害を、国際社会が防ぐことができなかった反省から生まれたものだ。2019年7月時点で、152カ国が批准している。同条約が定義するジェノサイドとは、「国民的、人種的、民族的又は宗教的集団を全部又は一部破壊する意図をもつて」行われる、次のすべての行為である。すなわち、(a)集団構成員を殺すこと、(b)集団構成員に対して重大な肉体的又は精神的な危害を加えること、(c)全部又は一部に肉体の破壊をもたらすために意図された生活条件を集団に対して故意に課すること、(d)集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること、(e)集団の児童を他の集団に強制的に移すこと、である。
条約発効後、国際刑事裁判所など、国連が管轄する機関が審理を行い、ジェノサイドであると認定したのは、(1)1975年~79年に、カンボジアのポル・ポト政権が、少なくとも170万人を飢餓、拷問、処刑、強制労働によって殺害した事件、(2)1994年に、内戦状態にあったルワンダで、全人口の15%程度に当たる少数派のツチ族住民のうち、80万から100万人を、フツ族過激派の武装集団が主導して殺害した事件、(3)ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で、1995年にセルビア人系の軍隊が、スレブレニツァの町を包囲し、約10日間でイスラム教徒であるボシュニャク人住民を8000人以上殺害した事件、の3つである。
ジェノサイドの主要な動機、背景は、人種差別である。ナチスドイツによるユダヤ人虐殺は言うに及ばず、ルワンダでのジェノサイドでは、ツチ族を「非人間化」し、暴力を煽るヘイトスピーチが、現地の中心的メディアであったラジオで繰り返された。それが、フツ族住民を、隣人であったツチ族住民に対する虐殺に駆り立てた。スレブレニツァの虐殺に至るセルビア人系軍隊の目標は、「民族的に純粋な領土」を確保するための「民族浄化」(戦略的な目的をもって、虐殺、強姦、強制移住などにより、特定の民族を根絶させること)だった。ポル・ポト政権によるジェノサイドでも、「政権の敵」とみなされた人、知識人の他に、少数民族が、その属性のみを理由に殺害、迫害のターゲットとなった。
日本社会の歴史と現状を考えたとき、ジェノサイドを、遠い国の出来事ということはできない。1923年の関東大震災時には、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」等のデマが官憲によって拡散され、それを信じた民衆、軍隊、警察が、朝鮮人に対する集団殺戮を行った。また、1875年から76年にかけて、日本政府は樺太(サハリン)在住のアイヌ854人を、対雁(ついしかり、現・北海道江別市)に強制移住させた。強要された不便な生活のなかで、アイヌの間でコレラや天然痘が蔓延し、300人を超える人が亡くなった。
1930年代、日本の植民地・朝鮮で、朝鮮総督府の外郭団体によって実施された、朝鮮人と日本人の婚姻を推進する事業(いわゆる「内鮮結婚」)は、婚姻・出産によって、朝鮮人を「血」のレベルで日本人に同化させることを目的としていた。言い換えれば民族としての朝鮮人を抹殺する意図を持つ事業だった。
対雁強制移住、「内鮮結婚」の背景には、アイヌ、朝鮮人に対する人種差別と偏見、そして制度的差別があった。
現在の日本社会にも人種差別が存在している。アメリカの反人種差別団体Anti-defamation Leagueが作成し、学校教育現場で使われることも多い「ヘイトのピラミッド」は、偏見→偏見による行為→体系的な差別→偏見による暴力・殺人へとエスカレートしていく人種差別の構造を分かりやすく図示した教材だが、その頂点にあるのが、ジェノサイドである。この図に基づくなら、2021年に、京都府宇治市の在日コリアン集住地域ウトロで、人種差別的動機による放火というヘイトクライムが発生した日本は、ジェノサイドが起こる、一歩手前というべき状況にあるといえよう。
日本においても、ジェノサイドは起こりえる。しかし、日本は、ジェノサイド条約を批准していない。日本政府は、条約批准のための手続きを進めるべきである。さらに、ジェノサイドを防ぐためにも、そこに至る過程に位置する、人種的偏見、人種差別的言動、就職差別・入居差別等の人種差別的取り扱い、そしてヘイトクライムに対する、新たな立法を含めた対策を、強化しなければならない。