インターセクショナリティとはおおむね、一人の人間の社会的立場の複雑さや、社会問題の重なり合いに焦点をあてるための「考え方」や「捉え方」を指す場合が多く、さまざまな社会運動や研究分野などに用いられてきた概念である。
日本ではここ2~3年の間に、「Intersectionality」を「インターセクショナリティ(あるいは交差性)」と表記するようになり、この概念を軸に据えた社会運動やイベント、ウェブ記事などが急増している。
これまで、人間の立場性や社会問題はある単一の軸によってそれぞれが個別に捉えられがちだった。例えば、年齢にまつわる問題として「高齢者」が対象にされる場合、あるいは人種にまつわる問題として「アジア人」が対象にされる場合、あるいはセクシュアルマイノリティにまつわる問題としてその中でも「バイセクシュアル」が対象にされる場合、あるいは階級にまつわる問題として「低所得者」が対象にされる場合などにおいて、年齢、人種、セクシュアリティ、階級のそれぞれが独立した個別の社会問題であるかのように扱われてきた。しかし、実際に社会に生きる一人ひとりの生の現実は決して単一の軸のみによって構成されてはいない。仮に、高齢でバイセクシュアルである低所得者のアジア人女性が社会に暮らしていたとしても、その経験は、単一軸のみに焦点を当てる既存の研究や社会運動の対象からは取りこぼされてしまうだろう。インターセクショナリティという考え方や実践の根底には、これまでの多くの研究や社会運動の中で捨象されてきた、実際に生きる一人ひとりの人間にまつわる複雑性や交差性を、蔑ろにせずしっかりと捉えていこうとする信念が歴史的に埋め込まれてきたと言える。
「インターセクショナリティ」という言葉自体は、ブラック・フェミニズムの中から生まれた。アメリカの法学者であり人権活動家であるキンバリー・クレンショーが、1980年代後半から1990年代前半に黒人女性や有色女性(ウィメン・オブ・カラー)たちをめぐる交差的な状況を考察する論文において造語したもので、その後、急速に広まったと言われている。クレンショーによると、それまでのフェミニズム(ホワイト・フェミニズム)では主に家父長制に抵抗する白人女性の経験が前提とされており、また黒人たちによる反人種差別運動では特に黒人男性の経験が前提とされてきた。そのため、白人でも男性でもない黒人女性たちや有色女性の経験はそのどちらの運動からも排除されてしまう。そればかりか、ホワイト・フェミニズムと反人種差別運動は、それぞれに対峙してきた家父長制と人種差別そのものに終止符を打つことができなくなっていると指摘している。なぜなら、家父長制と人種差別とは双方を補強し合うように分かち難く結びついているからだ。このように、家父長制という軸と人種差別という軸が交差する地点にある人々(ここでは黒人女性や有色女性)の存在を捉え、双方が密接に結びつく構造的な問題を浮かび上がらせるためにインターセクショナリティ(交差性)という概念が生み出された。
そして、アメリカのブラック・フェミニズムの中から生まれたこの言葉は、ここ数十年の間に国連の議論でも用いられ、世界のさまざまな企業や団体が活動の指針の一つに掲げるようになった。現在は人種やジェンダー、LGBTQIA +の領域のみならず、環境問題、保健衛生の領域、災害研究の領域など、さまざまな活動・研究分野において応用されている。2020年からのコロナ禍においても、どういった社会的立場の人がより感染のリスクに晒されやすく、その人たちのためにどのような交差的な対策が必要なのか、といった感染症対策の指針としてインターセクショナリティを用いたアプローチも活用されている。
一方、インターセクショナリティという考え方が「1990年代前後を基点として世界的に広がった」という歴史観に対して、『インターセクショナリティ』(小原理乃訳、下地ローレンス吉孝監訳、人文書院、2021年)を著したパトリシア・ヒル・コリンズ(メリーランド大学カレッジパーク校名誉教授)とスルマ・ビルゲ(モントリオール大学教授)は再考を促している。両氏は、「インターセクショナリティと名付けられた時からそれが始まったという見解には問題がある」と指摘し、それ以前の歴史の中に積み重ねられたインターセクショナルな実践や研究がすでにあったという事実を明らかにしている。これは日本においても同様であった。
先述のとおり、日本において「インターセクショナリティ」という言葉が広く使用されるようになったのはつい最近であるが、1990年代にはすでに「複合差別」という概念が用いられ、被差別部落女性やアイヌ女性、在日コリアン女性、沖縄女性、障害のある女性たちによってインターセクショナルな社会運動と研究・調査が蓄積されてきた。さらに「複合差別」という概念が使用される以前においても、1920年代からすでに「二重三重の抑圧」といった形で交差する差別の現実がマイノリティ女性たちによって浮き彫りにされてきた。
日本においてインターセクショナリティという概念を論じる場合には、アメリカからもたらされた新種の概念をただ借用するという形ではなく、これまで日本社会で日々積み重ねられてきたマイノリティ女性たちの実践の歴史を踏まえて議論していく必要があるだろう。