新型コロナウイルスが世界に大きな影響を与え、貧困や差別など様々な問題が噴出する中、多くの女性たちが「産む・産まない」をめぐる困難にぶつかり、大きな不安を抱えている。妊娠中に感染することへの恐れ、妊婦健診や出産の立ち会い、里帰り出産などこれまで当たり前にできていたことへの制限、不妊治療中の人々に対する治療延期の要請、望まない妊娠・出産を避けるピルや中絶などの手段にアクセスできない数々のハードル……まさに「不要不急」ではない女性たちの悩みが日々相談機関に寄せられ、その中には10代の少女からのものも少なくないという。
これらの出来事の根底には、日本においてSRHR(セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス&ライツ)という理念、すなわち「性や生殖にまつわる健康と権利」についての理解が進んでいないことがあると言えるだろう。コロナ禍で浮き彫りになった日本のSRHRの問題はどこにあるのか、「産む選択」「産まない選択」の両面から検証する。前編は「産まない選択」を見てみよう。
〈この記事の内容紹介〉
・性と生殖に関する権利(SRHR)とは
・コロナ禍で10代少女からの妊娠相談急増!
・中絶という選択肢は現実に機能しているのか
・「オーラルセックスで妊娠したかも」――学校では正しい知識が身につかない
・あまりにも高すぎる緊急避妊薬のハードル
・ガラパゴス状態の日本
性と生殖に関する権利(SRHR)とは
SRHRという言葉は日本ではあまり一般的ではないかもしれない。まず、SRHRとはどんな概念なのか、確認してみよう。
1994年、国際人口開発会議(カイロ会議)で、行動計画の中にSRHRの前提となる「リプロダクティブ・ヘルス&ライツ(RHR)」(「生殖に関する健康と権利」)が盛り込まれ、次のように定義された。
・リプロダクティブ・ヘルスの定義
人間の生殖システムおよびその機能と活動過程のすべての側面において、単に疾病、障害がないというばかりでなく、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態にあることを指す。したがって、リプロダクティブ・ヘルスは、人々が安全で満ち足りた性生活を営むことができ、生殖能力を持ち、子どもを持つか持たないか、いつ持つか、何人持つかを決める自由をもつことを意味する。
・リプロダクティブ・ライツの定義
すべてのカップルと個人が、(1)自分たちの子供の数、出産間隔、ならびに出産する時期を責任をもって自由に決定でき、そのための情報と手段を得ることができるという基本的権利、(2)最高水準の性に関する健康およびリプロダクティブ・ヘルスを得る権利、(3)差別、強制、暴力を受けることなく、生殖に関する決定を行える権利。
つまり、生殖は国家の人口政策にコントロールされるものではなく、個人ひとりひとりが持つ普遍的な人権の一部である、と謳われているのだ。「カイロ宣言」は、それまでの母子保健という子ども中心の概念から個人の健康や権利を中心とする概念への転換点ともなった。
カイロ宣言の後、しだいにLGBTなどの性の多様性が鑑みられるようになり、2010年にはWHO(World Health Organization、世界保健機関)、WAS(World Association for Sexuality、世界性科学学会)、IPPF(International Planned Parenthood Federation、国際家族計画連盟)などの関連団体によってユニバーサルリプロダクティブ・ヘルスケアを達成するという目的が示され、RHRに「S(sexual : 性)」が加わったSRHRの概念が前面に押し出されていく。「生殖」と「性」は切り離すことができないという考えに基づくSRHRについて、性科学者・産婦人科医で「性と健康を考える女性専門家の会」会長の早乙女智子医師は次のように説明する。
「私が学術委員を務めるWASが1999年の第14回総会で採択し、2014年に改訂した『性の権利宣言』では、『セクシュアリティ(性)は、生涯を通して人間であることの中心的側面をなし、セックス(生物学的性)、ジェンダー・アイデンティティ(性自認)とジェンダー・ロール(性役割)、性的指向、エロティシズム、喜び、親密さ、生殖がそこに含まれる』と、性の権利には生殖が含まれるということが述べられています。なお、2019年10月にはWASから『Sexual Pleasure 宣言』として、『性の健康・権利・快楽』が提唱され、『快楽』という概念も追加されました。ここで言う快楽とは『あらゆる人にとって肯定的な経験でありつつ、他者の人権とウェルビーイング(良好な状態、幸福、安寧)を侵害して得られるものでない』とされ、『性の権利の文脈で行使されるべきもの』だと謳われています。
女性も男性もLGBTなど多様な性の人々も、生きること全般から性や生殖を除くことはできません。その中でどう自分らしく生きていくかということは、すべての人が生まれながらに持つ普遍的な人権と言えます。特に女性にとって、出産するかしないか、いつ子どもを持つかは、ライフステージを考える上で欠かせない要素です。たとえ子どもを産まなくても、「産む性」であることは生涯変わりません。出産と避妊と中絶を、女性たちがそれぞれ置かれた立場から主張する別々の権利だと考えるのではなく、女性の体に起こること全ての包括的な権利だと考えること。
母体保護法
旧「優生保護法」〈1948年公布〉にかわり、母体の生命と健康を保護することを目的として1996年に制定された法律。一定の条件をそなえた場合には不妊手術または人工妊娠中絶を認めている。