「ミソジニー」という言葉を見聞きしたことはあるだろうか。「女性嫌悪」と訳されることが多いが、時に女性をターゲットにした殺人まで引き起こすことを考えると、ミソジニーは単に「女性が嫌い」というだけでは説明しきれない、深刻な問題をはらんでいると言えるだろう。ミソジニーとは何か、どのような事例があてはまるのか、また人々の中にどう埋め込まれ、どうすれば解決できるのか。ミソジニーをめぐる様々な問いについて、現代のフェミニズムや男性性を考察する河野真太郎・専修大学教授にうかがった。
*本記事中、オレンジ色で示した言葉をはじめ、ミソジニーを理解するために重要な言葉を「ミソジニー関連用語集」で解説しています

河野真太郎・専修大学教授
広がる「ミソジニーの裾野」
――「ミソジニー」とは、何を意味する言葉なのでしょうか。また、いつ頃から言われるようになったのですか。
ミソジニーという言葉自体は非常に古いもので、古代ギリシャの時代から憎しみ(miso)と女性(gunē)を組み合わせた「ミソジニア」が文学作品等で使われていました。これを元に17世紀にイギリスで作られた言葉が「ミソジニー(misogyny)」で、『Oxford English Dictionary』によると1656年に初めて使用されたことがわかっています。しかし、ミソジニーという言葉が頻繁に使われるようになったのは第二波フェミニズムが社会的ムーブメントとなった1960年代からと比較的最近で、特に1990年代以降、ミソジニーの使用頻度が目立つようになっています。この頃、アメリカ最高裁判事候補が告発されたアニタ・ヒル事件(1991年)等、セクハラ裁判が相次ぎ、セクハラをはじめとする男性のミソジニー的振る舞いが問題視されるようになりました。
ミソジニーは女性差別とほぼ一体化しており、男性を優位に置く家父長制はミソジニーによって支えられています。女性差別とミソジニーの厳密な切り分けは難しいのですが、あえてミソジニーを定義するならば「構造的女性差別を可能にするための感情のあり方」となるでしょう。「女性嫌悪」という訳語は「女好き」なミソジニー男性の存在をわかりにくくしてしまうので、上野千鶴子さんが提示する「女性蔑視」の方が、よりニュアンスが伝わるかと思います。
なぜ「女性を蔑視する」のか、ということを考える時、ミソジニーの重要な特徴である「ホモソーシャルな絆」の問題に触れておかなければなりません。ホモソーシャルな絆(同性間、特に男性同士の社会的な絆)は、イヴ・コゾフスキ・セジウィックの『男同士の絆 イギリス文学とホモソーシャルな欲望』(上原早苗・亀澤美由紀訳、名古屋大学出版会、2001年)で有名になった概念で、そこで問われるのは「男性同士の均質な社会性」をめぐる問題です。たとえば、男性だけが集まる集団内でよく見られるコミュニケーションに、互いの「男らしさ」を認め合い、絆を強めていくということがあります。この絆はしばしば、社会における男性の優位性を保持するために使われますが、この時にはたらく感情がミソジニーなのです。男性集団では、自分たちの関係が「性愛」ではないということを示すために、ホモフォビア(同性愛嫌悪)がはたらき、集団内の同性愛男性は「女々しい」「男らしくない」などとして排除されます。また女性に対しては、そもそも集団から排除されており、さらに、単なる性的対象としてモノ化し、消費することが、「男らしさ」を支える材料になっています。
――女性蔑視、女性を排除する、性的対象としてモノ化するという話が出てきましたが、具体的にはどのような事例がミソジニーの表れと言えるのでしょうか。
ミソジニーの表れ方を見ていく時、いくつかの水準に分けることが必要だと思います。ここでは「日常的レベル」「文化的レベル」「制度的レベル」に分けてみましょう。
まず日常的レベルでは、「女性は●●だから男性より劣る」という、日常に刷り込まれた固定観念を元に男性優位の構造が保たれます。こうした日常的なミソジニーは無意識のうちに表れるため、なかなか気づかれにくいのです。いわゆるアンコンシャス・バイアス(無意識の偏見)の問題ですね。たとえば職場の会議で同じような内容を言っているのに、女性の発言は軽視され、男性が話すと聞かれるといったシチュエーションが典型的ですが、いつのまにか女性が排除されていった結果、物事を動かすのは男性ばかりということは、私たちの身の回りでよくみられるのではないかと思います。
女性の発言が軽視されるのは、「女性は非論理的だから発言を重視しなくてよい」というアンコンシャス・バイアスがあるからです。もっとも、「女性を差別するのはよくない」ということ自体は今や表面上、社会の常識となっていますから、「女性は非論理的だから」などと面と向かって発言されることはあまりないかもしれません。ですが、発言の軽視のような日常的に繰り返される微細な差別はマイクロ・アグレッションと呼ばれるものです。マイクロ・アグレッションの中には、「女性“なのに”論理的ですごいね」など、それを加えている本人は褒めていたり、善意のつもりでさえいるような言動もありますが、向けられる本人にとってはうんざりするほど繰り返され蓄積される攻撃となり、差別となるのです。
一方、「女性を差別するのはよくない」という常識を踏み越えているのが、SNSなどネット空間におけるミソジニー行為です。特に「物言う女性」に対し、言葉の暴力で排除・制裁する、あるいは彼女たちが主張していることにはまともに取り合わず、容姿をからかうといった振る舞いが問題になっています。何の関係もない女性の発言になぜそこまで激しく反応するのか、と不思議に思いますが、要は「男性優位」の社会にとって都合の良い女性像から外れる女性たちを排除したい、というミソジニーがはたらいていると言えるでしょう。「物言う女性」を叩いて注目を集め、収益化する「アテンション・エコノミー」(注目経済)の問題も含め、ネット上で繰り広げられるミソジニー行為は、現在、非常に深刻な状況になっています。
第二波フェミニズム
18世紀〜20世紀半ばにかけて、女性参政権運動等、公的領域での男女平等を求めた第一波フェミニズムに対し、それらが達成された後、性別役割など私的領域における女性差別の課題を提示、主に1960〜80年代に展開された女性権利運動。