玉本英子(えいこ)。1966年生まれ。彼女の職業は「ジャーナリスト」だ。アフガニスタン、コソボ、レバノン、シリアと、世界各地の紛争のさなかに飛び込み、多くの貴重な記録を映像に収めてきた。とくに、イラクには2001年から毎年のように通い続けている。渡航回数はすでに17回。
世界で最も凄惨(せいさん)な戦争が続いているこの国に、彼女はなぜ通い続けるのか。そこに何を見てきたのか。今回は、玉本さんのお話から、「戦争のリアル」を学びたい。
「このままでは死をまつばかりだ」
玉本さんはまず、10年前から取材を続けているイラクでのイスラム国によるヤズディー教徒迫害について語った。ヤズディー教徒とは、イラク北部などに住み、イスラム教とは異なる独自の信仰をもつ人々だ。総人口は30万~60万人程度とみられている。民族としてはクルド人に属するが、クルド人も含め、圧倒的多数の人々がイスラム教徒であるイラクでは、彼らは少数派だ。そのため、フセイン政権時代から繰り返し弾圧にさらされてきた。そのヤズディーと玉本さんとの縁はイラク戦争直後の04年にさかのぼる。「取材のとき助けてもらった通訳の人が、たまたまヤズディーやったんですね。ヤズディーってよく知らないって言うたら、自分の村に案内してくれたんです」。彼は自分たちの存在を外国人に知ってほしかったのだろうと玉本さんは言う。それ以来、ヤズディーの人々と付き合ってきた。
14年8月、大阪にいた玉本さんのもとに電話がかかってきた。ヤズディーの町シンジャールに住む知人からだった。「イスラム国が攻撃してきた。女性たちがさらわれ、町の人々が殺されている」。知人も含め、多くの人がなすすべもなく近くの岩山に逃げ込んだ。だが、ここには水もなく、食べ物もない。「このままでは死を待つばかりだ」と彼は訴えたという。
その後、岩山の彼らはクルド人戦闘員に救出されたが、同時期に、イスラム国によるヤズディー教徒迫害は各地で展開されていた。イスラム国は、イスラム教への改宗を拒否する男性はその場で殺害し、若い女性たちを拉致して戦闘員と「結婚」させた。もちろん、「結婚」とは名ばかりで、性的関係を強要されるのである。拉致された人々は4000~5000人に上ると見られている。
玉本さんは、イスラム国戦闘員のもとから脱出することができた女性たちに取材した。レイプされたときにつけられた傷を、泣きながら見せてくれた女性がいた。5カ月間も口がきけないふりをすることで強制結婚を逃れた13歳の少女もいた。多くの女性が自ら命を絶ったと聞いた。
拉致されたのは女性たちだけではない。子どもたちも連れ去られ、イスラム教に改宗させられて戦闘訓練所に送られた。玉本さんは逃げてきた男の子に話を聞いた「ジハード(聖戦)を行えば死んで天国に行ける、と毎日のように教え込まれたそうです」。
彼らもかつては被害者だった
聞けば聞くほど、イスラム国の行為の非人間性に怒りを覚えないではいられない。だが、イラクとシリアを取材してきた玉本さんは、怒りとともに別の目をもってこの状況を見つめている。「イスラム国の元戦闘員に取材したことがあります。この人はかつて、兄2人を米軍とイラク政府軍に殺されているんですね。さらに母親と自分も、何もしていないのに刑務所に入れられ、拷問を受けたと言っていました。そうしたことがあってイスラム国に身を投じたんです」
イラク戦争時、米軍の攻撃によって多くのイラク人が殺された。さらに多数派であるイスラム教シーア派が主導するイラク政府が成立すると、かつてフセイン政権を支えた少数派のスンニ派の人々は弾圧を受けるようになった。こうした経緯を通じて憎しみを育てたスンニ派の若者たちが今、イスラム国に合流している。「だから彼らは最初から加害者だったわけではなく、かつては被害者でもあったんです」。
言語を絶する蛮行を見せつけるイスラム国だが、その背景には米軍のイラク侵攻から長年続く戦争の現実があるというのだ。「戦争が生んだ恨みや憎しみが、次の殺人につながる。現地を見ていて、そのことはすごく感じます」。
玉本さんは続けて強調した。「日本政府はイラク戦争を支持しました。その政府を選んだのは私たちです。その選択の結果が、ヤズディーの小さな町が襲われるようなところまで行き着いた。私たちも無関係やないんですよ」。
09年、オバマ政権がイラクからの米軍撤退を発表し、徐々に駐留部隊の規模を縮小していき、11年末には戦闘部隊は完全撤退した。イラクを荒廃させた米軍が、ようやく立ち去ったわけだ。ところが、イラク戦争からずっとイラクの惨状を見つめてきたはずの玉本さんは、この時点での撤退に批判的だった。
「私あのとき、いま米軍が撤退したらイラクはメチャクチャになると思った」。すでにイラクの紛争は、米軍とイラク人というより、イラクの多数派であるイスラム教シーア派と少数派のスンニ派の衝突へと変質していた。米軍という重石(おもし)がなくなれば、ますます歯止めがきかなくなる。米軍のイラク侵攻に怒っていた多くのイラク人たちも、この時期の米軍の撤退は歓迎していなかったという。
「米軍には、この混乱を作り出した責任がある。いくら犠牲を払おうが状況がよくなるまで見届ける義務がある。でも彼らはイラクの人たちのためではなく、自分たちの都合で撤退し、イラクの人たちを見捨てた」
心配したとおり、シーア派主導のイラク政府は、スンニ派を弾圧するようになった。そして弾圧されたスンニ派の人々の中から、新興勢力のイスラム国に身を投じる人が出てくる。混乱はいっそう深まった。
「戦争って、いったん始まってしまうと、簡単に終わらせることはできない。そんな甘いものじゃないんですよ」
玉本さんは当時、市民団体などに呼ばれて講演する際も、米軍の早期撤退は危ういと指摘したが、そうした話はむしろ聴衆に反発を受けるばかりだった。
「あなたはアメリカの味方なのか、CIAのまわし者なのかと言われました。講演会に呼ばれる機会も減った。でも私は都合のいいことを言って“市民に寄り添う”ことはしない。現地で取材して見てきた事実をゆがめることはできない」
玉本さんは、自分も含めたメディアが、そうした戦争のリアリティーを十分に伝えられなかったのではないかと振り返る。米軍が撤退を決めた当時、イラクに取材に入るメディアはすでに少なくなっていた。現地に入って、人々の話を聞かなければ、実情は分からない。
現地に行かなければ分からないことがある
現地に実際に行かなくては分からないことがある。これが、多くの人が抱く「なぜ危険な地域に取材に行くのか」という疑問への答えだ。「たとえば、イスラム国の部隊が撤退した拠点を見に行ったとき、投げ捨てられた武器に混じって、白い粉が入った袋があったんですね。コカインでした。イスラム国の戦闘員というと、ジハードで死ねば天国に行けると信じ込んでいると思われますけど、彼らだって死ぬのはやっぱり恐いんですよ」
現地で初めて見えてくるのは、何もそうした特別なことだけではない。たとえば、戦時下の生活の現実も、日本に住む私たちには想像もつかない。行ってみなければ分からないのだ。
「戦争って普通の生活ができなくなるってことなんですね。水が手に入らない。地下水をくみ上げるポンプを動かす電気がないから。なんとか燃料を手に入れると、少しだけ発電機を回して、それで水をくんで、携帯電話を充電して、少しだけテレビを見て情報を得る。登山用の小さいコンロ一つで10人家族の御飯を作ってたりする。向こうの女の人たちってすごくおしゃれなのに、そんな人がお風呂に10日も入れないでいたりするんです」
社会や政治の状況をいい方に変えたいと思ったら、まずは現実を知らなくてはならない。