2017年11月に発売されて以来、ずっと新書売り上げランキング上位に入っている本がある。鴻上尚史さんの『不死身の特攻兵』(講談社現代新書)だ。特攻兵といえば敵艦に体当たり攻撃をして、わが身を犠牲にする存在という認識がある。だから「不死身」と「特攻兵」は、本来なら矛盾するキーワードではないのか。9回出撃して生還した「不死身」の「特攻兵」だった佐々木友次(ともじ)さんは、なぜ鴻上さんに言葉を遺したのか。鴻上さんに何を伝えたかったのか。
戦争をテーマにすることは、今まで考えていなかった
鴻上さんは、歌手の大貫妙子さんの父で元特攻隊員の大貫健一郎氏と、NHKディレクターの渡辺考氏による本がきっかけとなって、この佐々木さんを知った。この本は演出家としての嗅覚が引き寄せたものではなく、偶然に出合ったものだ。
「最初はお二人が書かれた『特攻隊振武寮 証言・帰還兵は地獄を見た』(大貫健一郎、渡辺考、講談社、2009)を本屋で見つけて、『こんなのがあったんだ』と思った程度だったんです。で、パラパラめくっていくうちに『こんなのがあったなんて!』と、びっくりしてしまって。この本で紹介されている振武(しんぶ)寮は生きて戻ってきた特攻兵の収容施設だったんですが、外出も外部との連絡も禁止されていて、先に入寮している隊員との会話も出来なかった。死ななかった特攻隊員の存在を外部に知られないように、軟禁するのが目的だったんです。そんな寮があったことにも、陸軍の正式な記録に残っていないことにもびっくりしたし、同時にすごく理不尽なことをしていたんだなと感じました。
割と俺らの世代(1958年生まれ)って、子どもの頃に戦記物のマンガとかアニメをよく見てたんですよ。当時は水木しげるさんとか『紫電改のタカ』(週刊少年マガジン、講談社)のちばてつやさんとか、人気マンガ家がこぞって戦争をテーマにしたものを描いてたんです。戦争物がジャンルとして確立されていた。でも自分もそれをテーマにしたいという思いは、これまでなくて。佐々木さんに会いに行ったのも本にしようと思っていたからではなくて、ただただとにかく会いたかったから。でも何回かお会いするうちに、『本にして、佐々木さんの存在を多くの人たちに知らせたい』と思ったんですよね。だってまさかご存命だとは、本当のところ思っていなかったから」
佐々木友次さんは、1923年6月に北海道の当別村で生まれた。家は福井県から入植した開拓農家で、12人きょうだいの6男。14歳で小学校の8年を卒業してからは家業を手伝っていたが、17歳の時に、逓信(ていしん)省航空局仙台地方航空機乗員養成所の試験に合格する。逓信省は郵便や通信などを管轄する、今で言えば総務省と日本郵便と通信各社を兼ねたような役所だ。にもかかわらず乗員募集のポスターは「空だ! 男のゆくところ」という、何とも勇ましいものだったという。その理由は普段は民間の仕事をしながらも、必要な時には前線に投入される陸軍の予備役養成所だったからだ。
佐々木さんはここで、ビンタや精神注入棒による尻叩きなどの体罰を連日受けながらも、1年かけて約50時間の飛行訓練をこなした(同期にはなんと、ハイジャック事件が起きた時よど号のパイロットだった石田真二元日本航空機長もいたそうだ)。卒業後は茨城県の鉾田(ほこた)陸軍飛行学校に配属され、そこで「九九式双発軽爆撃機」(以下九九式)での急降下爆撃の訓練を受けたのち、陸軍第1回特攻隊・万朶隊(ばんだたい)の一員となる。万朶隊のミッションは、九九式に800キロの爆弾をくくり付けて敵艦に特攻することだった……。
生き残ったことは、本来は喜ばしいことなのに……
『特攻隊振武寮』の中で佐々木さんは、「周囲が死に追い立てるのをあざ笑うかの如く、八度(注:正確には九度)の出撃にもかかわらずことごとく生還している」と書かれている。なぜ死ねと命じられている立場にもかかわらず、生きて帰ってこられたのか。佐々木さんは生還した理由をたずねる鴻上さんに「やっぱり寿命ですよ」「父親の『人間そんな容易に死ぬもんじゃない』って言葉を支えにしていたのはありますね」などと答え、「なんで死ななきゃならないかって、そういう感じは持ってました」とも言っている。
しかしかの大岡昇平氏は1971年に刊行された『レイテ戦記』(中公文庫)の中で、佐々木さんをこう書いている。
「搭乗員佐々木友次伍長は体当りはせずに爆弾を命中させてから、ミンダナオの飛行場に着いた。特攻隊中の変り者で、自分の爆撃技術に自信があり、体当りと同じ効果を生めばよいのだという独自の信念の下に、爆弾を切り離して生還したのであった。(中略)その後何度出撃しても必ず生還し、二カ月後エチヤゲ飛行場で、台湾送還の順番を待つ列の中に、その姿が見られたという」
これでは佐々木さんが仲間が散る中、命根性汚く生き残ったかのような印象を受けてしまう。「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」という考えが刷り込まれていたのかもしれないが、まるで生き残ったことが罪であるかのようだ。敗戦後も生還した特攻兵に対してはこのような見方が一般的だったのか、佐々木さんは、生前は自分の過去をほとんど語らなかったそうだ。
「それは『特攻はどうでしたか』みたいなことを周囲から聞かれなかったのもあるけど、仲間たちへの思いもあって、自分から話すものではないと思ったんでしょうね。本を書いた後に俺のTwitterに『9回も帰ってきたということは卑怯者じゃないか』とか『特攻で死んだ人間をバカにするのか』とかのメンションが付いたことがあるけど、理不尽な命令を受けて効率的ではないことをしなければならない構造自体が問題なのであって、そこを伝えたくて本にまとめたんです」
大日本帝国陸軍は、究極のブラック企業!?
『不死身の特攻兵』を通して伝わってくるのは、当時の大日本帝国陸軍のデタラメぶりである。特攻隊員に「諸君ばかりを死なせはしない。いずれ後から行く」と言っておきながらアメリカ軍のフィリピン上陸が目前に迫ると、いちはやく自分だけ台湾に脱出した冨永恭次司令官をはじめ、一つひとつ書いていたらキリがない程だ。
「大日本帝国陸軍は典型的なブラック企業というか、硬直した官僚組織だったと思うんですよ。例えば佐々木さんは生きて帰ってくるたびに『次は必ず死んでこい』と言われるのですが、それは最初の特攻で死んだと天皇陛下に報告しているのを、覆すことが出来ないから。死を既成事実としてアナウンスしてしまったので、『実は生きてます』というのが公になったら、誰かが責任を取らなければいけないわけですよね。でもそれは戦時下での特殊な話ではなくて、上司の決定を部下が自分の命で埋め合わせる、現代の組織の在り方だって変わらないと思うんです。
この本の帯に『“いのち”を消費する日本型組織に立ち向かうには』って書いてあって、これは俺ではなくて担当編集が考えたものなんだけど、『あっ』と思ったのね。なんで俺はこんなに佐々木さんという人にこだわるのだろうって考えたら、それは佐々木さんが、命を消費する日本型組織に抵抗した人だから。それでこんなに惹かれたんだって気付いたんです。
実は70年以上日本の組織は構造が変わっていなくて、人の命を消費しながら延命してきました。ただ戦争の場合は、構図が非常に分かりやすい。最近では企業でも社員が亡くなると、それは何か秘密を守るため命を犠牲にしたのか、もしくは仕事のプレッシャーが原因なのかといった構造が分かるようになってきたけれど、見えない部分も大きいんですよね。でも軍隊は明確に見えるんですよ」
生き延びた理由は「好き」があったから
「佐々木さんは死から逃げるのは不可能な状況だったけれど、9回も生きて帰ってきた。その度に上官から罵倒されて、『次は絶対に死んでこい』と言われる。