色々調べてみると、佐々木さん以外にも一度帰還した特攻兵はいました。でも罵られたことで、次の出撃の時には死ぬこと自体が目的になってしまった人も多かった。そんな中でも佐々木さんは決して、死ぬことを目的にしなかった。それはお父さんの言葉や、亡くなった万朶隊の岩本益臣(ますみ)隊長から『無駄な死に方をしてはいかんぞ』という命令を受けたこともあると思うんだけど、佐々木さんは何より、空を飛ぶことが好きだったんじゃないかな。九九式は飛行機としては評判が良くなかったけれど、佐々木さんは、訓練すれば『鳥の羽みたいに自由に動く』と言っているんです。そこまで思い入れがある飛行機を、体当たりして壊すのはやっぱり嫌だったんじゃないかな。
でもそういうシンプルな『好き嫌い』は、組織がブラックになればなる程、人前では語れなくなるものです。人間は追い込まれていくと、だんだん基本的な喜怒哀楽が薄くなるから、自分が何が好きで何がしたいのかが分からなくなってしまう。だけど佐々木さんは、最後まで好きにこだわった。それが生き延びた何よりの理由だと思うんですよね」
佐々木さんは、終戦後に農家を継ぎ、空に戻ることはなかった。「好き」を若くしてリタイアした人生だったが、上官への怨嗟(えんさ)を口にすることはなく、2016年2月に92歳で亡くなった。
「佐々木さんは元気な時は頑固な人だったと息子さんと娘さんは言っていたけれど、子どもには『お前たちはしたいことをすればいい』と、農家を継ぐことを強制しなかったそうです。俺にも『話すことはないから来ても無駄だよ』と最初は言っていたのに、結局はちゃんと話してくれた。特攻隊の思い出は『つらかった』の一言だけだったし、終戦後に近所の人に冷たくあしらわれたことへの、恨みつらみも語らなかった。そういう人だから大岡さんも直接会っていたら(大岡氏は佐々木さんと面識がないまま文章にしている)、描写は変わっていたんじゃないかな」
どんな状況に置かれていたとしても自分の「好き」を裏切らなければ、希望を失わずにいられるのかもしれない。どんな生き方だったとしても、納得出来るのかもしれない。では一体、自分は何が好きなのだろう? 何を好きと言えるのだろう? それは決して「戦って死ぬこと」ではないはずだ。
一人ひとりが「好き」を突き詰めていけば、きっと幸せな人は増える。ひいてはそれが、望まない死を回避する何よりの武器になるだろう。92歳まで生きた元軍神は、鴻上さんの文章を通してそのことを言い遺したかったのだ、きっと。