そして二人は同棲を始め、『太い鮮人』という機関誌を創刊したのち、23年4月に日本人や在日朝鮮人のアナキストとともに「不逞社」を設立する。名前の由来はいずれも「不逞鮮人」だ。文子がアナキストと連帯し、日本帝国主義に抵抗する一員に加わったのは、まさに「苦しめている人々への復讐」だったのかもしれない。
「私も文子が日本人でありながら朝鮮人の側に立ったのは、朝鮮での出来事が影響していると思います。文子には『なんであの人たちはあんなにこき使われるのだろう』とか、『なんで虐待されるんだろう』といった疑問があり、『国を超えて私のような人のために戦いたい』と感じたことこそが、彼女を動かす力になったのではないでしょうか」(チェ・ヒソさん)
文子は烈に対して「女性であるという観念を取り除くこと」「同志として同棲すること」を望む。そしてこの戦友のような二人は、不逞社設立の5カ月後に起きた関東大震災での「朝鮮人が井戸に毒を入れた」なる流言を真に受けた自警団による、朝鮮人虐殺に巻き込まれていく。朝鮮人かどうかを見抜くために「15円50銭」と発音させた話は有名だが、作中にも登場するこの言葉を、ヒソさんも両親から聞いていたと語る。
「関東大震災については日本にいた時に教科書で習ったと思うんですけど、詳しくは覚えてなくて。韓国でも学生たちはあまり詳しく学んでいなくて、虐殺事件についてはうちの両親も『親から聞いたことがあるよ』みたいな感じでした。ただ両親は『15円50銭』については祖父母から聞いて知っていて、私もそれは聞いたことがありました」(チェ・ヒソさん)
文子と烈は23年に保護検束(保護の名目で拘束し、一時留置すること)され、治安警察法違反容疑で逮捕される。朝鮮人虐殺を国際社会に隠蔽(いんぺい)するためのスケープゴートとして、「不逞鮮人」が必要だった日本政府に陥れられたのだ。更に翌年2月には、皇太子暗殺を企てたとして大逆罪で追起訴される。
二人はそれぞれ独房に入れられ、物理的な距離ができることとなるが、絆はぐっと深まっていく。映画の中で法廷に立たされた文子は、白いチマチョゴリをまとって「나는 박 문자다(私は朴文子だ)」と言い、烈と二人分の思いを吐き出すように、アナキストとしての持論を滔々と言い述べていく。ラブシーンらしいラブシーンはないにもかかわらず、二人が心身ともに深く結び付いていたことが伝わってくる。
「この映画は日本を批判するためのものではなく、二人が戦いと愛を通して、ともに成長していくラブストーリーです。文子はすごく純粋に、朴烈を愛していた。だからこの作品の一番の見どころは、二人の主人公が国籍を超えてともに戦い、愛したことだと思うんです。そして登場する日本人には文子たちを苦しめる人だけではなく、布施辰治弁護士を始め一緒に闘った人もいます。このように善良な人は国籍に関係なく存在しているし、この映画が公開されて以降、文子は韓国でとても愛されるようになりました。『○○人だから悪い/良い』ということではないと、見ている人に伝わったらと思います」(チェ・ヒソさん)
愛する存在があれば、独りでも揺るがない
私は朴を知っている。朴を愛している。彼におけるすべての過失とすべての欠点とを越えて、私は朴を愛する。[中略]そしてお役人に対してはいおう。どうか二人を一緒にギロチンに放り上げてくれ。朴とともに死ねるなら、私は満足しよう。(そ)して朴にはいおう。よしんばお役人の宣告が二人を引き分けても、私は決してあなたを一人死なせてはおかないつもりです。――と。(『金子文子 わたしはわたし自身を生きる 手記・調書・歌・年譜』[梨の木舎、2013年]より 1926年2月26日公判調書に添付された書簡)
法廷での文子は堂々と朝鮮人である烈への思いを語り、非国民とののしられても顔を上げて毅然(きぜん)としていた。逆境の中でも揺るがなかったのは、子どもの頃から逆境に慣れていたからかもしれない。しかしそれ以上に同じ「犬ころ」への愛が、彼女を揺るぎないものにしたのではないか。
一旦は死刑判決が出たものの、恩赦により無期懲役となった文子は、1926年に獄中で縊死(いし)している。自殺と言われているが、真相は定かではない。一方の烈は22年間刑務所に収監され、45年に出所。在日本朝鮮居留民団の初代団長を経て韓国に帰国。その後、北朝鮮で71年の生涯を終えている。
「文子の死は、いまだに明らかになっていないところがありますよね。でも文子はやっぱり自分の意志で生きていけなくなったと思ったら、多分死を選択する女性だと思うんです。すごく哀れな生い立ちの中でも生きることを選択したのは、彼女が持っている本来の力ですが、権力を拒否して抵抗しようとする精神もある。それが文子だと思うんです」(チェ・ヒソさん)
文子の墓は朴烈の生まれ故郷である慶尚北道聞慶市の、朴烈義士記念館の敷地にある。烈の遺骨はここにはない。つまり二人は一緒にはいない。けれど烈の故郷に眠る文子は、かつて残した言葉通り、引き離されても烈を独り死なせてはいないのだ。
生きるとはただ動く、ということじゃない。自分の意志で動く、ということである。[中略]したがって自分の意志で動いたとき、それがよし肉体を破滅に導こうとも。それは生の否定ではない。肯定である(前掲書より 1925年11月文子提出の書面)
文子が亡くなって2019年で93年になるが、100年近く前に存在したこの「飲み込まれなかった人」はどんな状況に置かれても自分を信じ、愛を信じ、思想を信じた。
こうしてみると、彼女の人生はとてもシンプルだ。彼女の「信じて肯定する」生き方は、今を生きる私たちが時に見失いそうになる足元を、照らしてくれるものになるのではないか。
映画『金子文子と朴烈』は、19年2月16日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開。(映画公式サイトはこちら)