突然、変なことを尋ねるが、親から「人を殺すこと」を命じられたらどうするだろうか。
無差別に殺すわけではない。自分たちの住む村や集落が繁栄するための儀式として、「犠牲祭」をしなければならないというのだ。集落の長の家に生まれた者として、それは絶対に避けられないミッションだという。儀式をしなければ村には災いが訪れ、多くの村人が命を落とすかもしれない。代々伝統を守って儀式を続けることで村は存続し、繁栄を続けてきたのだと親は言う。が、その儀式であなたが命を奪わねばならないのは、生まれたばかりの赤ん坊。果たして、あなたはなんの罪もない赤ちゃんに手をかけることができるだろうか?
突然そんなことを書いたのは、10代でこのような事態に直面し、日本に逃れてきた女性と出会ったからだ。その人は、Aさん(35歳)。アフリカの某国で、集落の長の一人っ子として生まれた。
15歳くらいまでは、なんの問題もなく過ごしていたという。しかし、彼女の人生が変わったのは、「村を祝福するための犠牲祭」について父から聞かされた日。
15〜17歳の間に、祭壇に赤ん坊の命を捧げなければならないというのだ。それが「王女」となるAさんの役割であると父は強調した。儀式をしなければ、村の作物は育たず、多くの災いが続くことになる。そのための犠牲祭を担うことが、代々続いてきた村の伝統なのだと。ちなみに「犠牲」となるのは、村の誰かが身ごもったものの育てられないなどの事情がある赤ん坊らしい。
それを聞いたAさんは、大きな衝撃を受けたという。なぜなら、父は伝統主義者だったものの、母は違ったからだ。幼い頃から母はAさんを、自立した女性になるように教育し、また教会にも連れていってくれた。教会で「人を殺してはいけない」という教えを受けていたAさんにとって、命を奪う儀式はありえないものだった。
「絶対にできないと、父に伝えました」
しかし、もちろん「そうですか」で済むはずがない。
儀式を迫ったのは父だけではなかった。犠牲祭を渋るAさんに、村人たちが「儀式をしないなら殺す」と言うようになるまで、そう時間はかからなかった。
助け舟を出してくれたのは母親。村から街に連れ出してくれたのだ。この時点でAさんは16〜17歳。街の高校を出たあとは、日本で言えば「東大」レベルの大学に進学。専攻は生化学。進学とともに首都に移り、大学生活が始まった。
しかし、村人は儀式から逃げた彼女を許さなかった。
Aさんが村を出たあと、作物の不作が続き、また何人かが亡くなった。村人たちはそれを「Aが儀式をしなかったせい」と決めつけ、彼女が住む首都まで来て探し回ったという。
「怖かったです。私の国では、そのことを警察に言っても、伝統的な儀式に警察が介入してくれることは絶対にありません」
娘の命の危険を感じた母親は、Aさんをタイに逃がした。3年生だった大学はやむなく退学。24歳で単身、タイに渡った。
「タイに行けば、難民申請できると思いました。でも、できなかったんです」
理由は、タイは難民条約に批准していないから。そもそも難民申請自体ができないのだという。
タイには3〜4年ほどいた。英語教師の職を得たことで自立して生活することができた。が、タイにいる間に母親が死亡。死因は今もわからない。家族が父だけになったこともあり、村人たちの怒りが沈静化しているなら故郷に帰りたいという思いが芽生えた。
しかし、久々に父に連絡すると、村人の怒りは収まっておらず、今も村に連れ戻して儀式をさせようとしていることが判明。村で死者が相次いだこともあり、父までもが村人に「Aを連れ戻せないならお前を殺す」と言われるようになっていた。
同時期、故郷の人間だという知らない人からAさんに電話が来るようになる。内容は「戻って来ないと父を殺す、家も焼き払う」というもの。脅してくる人間は、Aさんがタイにいることを知っていた。
このままでは、タイに来られて連れ戻されてしまう。
「怖くて怖くて仕方なかった」という彼女は、「タイから一番近くて、かつ難民申請ができる国」をネットで探した。それが日本だったというわけだ。
そうして2015年、たった一人、知り合いが一人もいない日本へ。
来た当初は、「これで安心」と思ったという。難民申請もできるし、治安もいい国。